【細川たかし 我が道7】夜はクラブ 昼は健康ランド 歌手を目指す私にとって大きな出会いが

[ 2025年6月7日 07:00 ]

夜はクラブ歌手、昼は健康ランドで歌手兼司会業の二重生活でした
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 17歳の夏、駆け出しのバンドボーイ兼クラブ歌手の生活が始まりました。クラブでの本格的なショータイムはだいたい午後8時半から始まります。しかし、7時ぐらいに来て飲み始める客もいるので、開店したら何か軽い音楽を流しておかねばなりません。そういう時間帯にバンドの音合わせやリハーサルを兼ねてドラムを叩かせてもらったり、歌わせてもらえるのです。そんな状況でも、やはり12人編成のフルバンドの演奏で歌えるのは凄く気持ちいいものです。

 次第に本番のステージで歌えるようになりました。すると、週に一度、来店すると必ずホステスを通じて北島三郎さんの大ヒット曲「函館の女」をリクエストする客がいることを知りました。歌い終わって、席にあいさつに行くと決まって1000円のチップをくれました。すっかり顔を覚えた私は、その客が来店するとバンドに合図を送り、すぐに「函館の女」のイントロが流れて、歌えるようにしました。そういうところは、ぬかりありませんから。その客は函館の建設関係会社の社長でした。後に歌手デビューした後、その社長が亡くなったと聞いて弔問にお邪魔しました。遺族から「札幌に歌のうまい子がいるんだとオヤジはよく自慢していました」と言われて涙が止まりませんでしたね。

 クラブ「マーガレット」には「太田さん」というアコーディオン演奏の名人がいて、昼間は中島公園近くにあった「銀嶺荘」という健康ランドでもアコーディオンを弾いていました。その太田さんに誘われて「銀嶺荘」に行きました。2階には300人ぐらい入る大広間があり、そこで歌謡ショーも開かれるのです。「純烈」が人気を得た、あのショーです。「キャバレー」の始まる夜までは暇だったので、私も昼からそこで司会者兼歌手のアルバイトをさせてもらいました。太田さんのアコーディオンの伴奏でお客さんが歌うのど自慢コーナーの司会。アロハシャツを着て、お客さんと会場を盛り上げるのです。

 「お姉さんは今日、何を歌われますか?」

 だいたい民謡か、古い懐かしい演歌が多かった気がします。いわゆる「素人さん」なので、会話が弾んだり、弾まなかったり。どうすれば、会場が盛り上がるか?即興で対応しなければなりません。今思うと、貴重なトークの修業の場となりました。月給は1万円もらいました。夜と合わせて計2万円。家賃が3500円の時代でしたから、そこそこ稼いでいたことになります。結局、2年ぐらい昼と夜の二重生活を続けました。

 しかし、歌手を目指す私にとって何よりも大きかったのは、この「銀嶺荘」に民謡歌手と三味線のプロがいて、民謡と発声法を教えてもらったことでした。北海道はもともと民謡好きが多く、歌謡ショーや「のど自慢」大会に民謡は欠かせません。民謡歌手の皆さんが昼間から物凄い声を出して歌っていたので、本当にたまげました。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の74歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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