原晋監督 青学大監督就任までの綱渡り人生「ほぼほぼクビになりかけました」からの大逆転

[ 2024年1月22日 22:54 ]

青学大・原監督

 今年の箱根駅伝で青学大を2年ぶり7度目の総合優勝に導いた原晋監督(56)が、22日放送の日本テレビ系「しゃべくり007」(月曜後9・00)にゲスト出演し、監督就任までの綱渡り人生を明かした。

 現役引退後、中国電力のサラリーマンとして陸上から離れていた原監督。「陸上とは無縁の生活を送っていた。サラリーマンでしっかりやろうと決めていたんで」。ところが、心にくすぶる思いがあったという。「でもどこかに指導者になりたいという子供のころからの夢が、教員か指導者になりたいというのはありました」と語った。

 そんなある日、高校時代の後輩から1本の電話が。その後輩が在籍していた青学大が、陸上部強化のため監督を探しているという情報だった。「“原さん、どうですか?”って話が来たんです。俺にチャンスをもらえるなら、ぜひやらせてもらいたい」。二つ返事でOKしたという。

 ところが、指導者としては実績ゼロ。美穂夫人も大反対したという。「OKじゃないですよ。やるやるって本人だけが言ってました」。後輩からの電話は、実は後輩が監督を打診されて原監督が相談を受けるという内容だったが、美穂夫人によると「俺だったらやるけどな。俺だったらやるけどな」と、原監督の方がやる気満々になっていったという。

 待遇は、青学大の嘱託職員としての3年契約。原監督は「いわゆるバイトですよ。3年後、成績が振るわなかったら、次への保証はない」と明かした。美穂夫人は「ここで私が引き留めたら、ずっと一生の話じゃないですか?“あの時これがやりたかった”って絶対言われるので、3年後、職がなくなったらちゃんと自分で考えると約束させて」と、しぶしぶOKしたという。

 3年契約の最終年、最も成績が悪く、原監督は「ほぼほぼクビになりかけました」と振り返った。それでも、大学執行部の厚意で、もう1年だけ挑戦することに。箱根駅伝出場こそ逃したものの、次点だったという。

 次点校の監督は、関東学生連合の監督を務めるのが通例になっており、原監督が就任。すると、思わぬ結果を出したという。「関東学連って、いつも下の方じゃないですか?私の時だけ、4番だったんです。寄せ集め集団を。いけるぞということで、5年目の4月に、正規の学校職員として(契約した)」。その年の10月、箱根駅伝予選会で33年ぶりの箱根切符を獲得。7度総合優勝の黄金時代の幕開けを迎えた。

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