徳光和夫 アントニオ猪木氏との再会秘話「あまり動かない手で一生懸命に動かしてくれた」

[ 2022年9月3日 17:22 ]

日本テレビ「24時間テレビ」に出演したアントニオ猪木氏(右)と徳光和夫(C)日本テレビ
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 フリーアナウンサー徳光和夫(81)が3日、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー(土曜前5・00)に生出演し、元プロレスラーのアントニオ猪木氏(79)との再会について語った。

 先月28、29日に放送された日本テレビ系「24時間テレビ45『会いたい!』」に、猪木氏は車いす姿で生出演した。「元気ですかー!元気があればなんでもできる!」とおきまりのせりふを披露。完治が難しいとされる難病の「全身性アミロイドーシス」と闘う今の姿を見せつつ、人々に元気を届けた。

 その猪木にマイクを向けたのが、猪木氏とも旧知の仲だった徳光だった。「事前にお見えになりまして、車いすに座った猪木さんが“徳さん、こんなになっちゃったよ”って言ったから、“何言ってるんだよ。まだ70代だろう?”みたいな話をしたわけですよね」。今年の会場は両国国技館。猪木氏は「国技館って場所を聞いて、こりゃ行かなきゃねって思ったんだよ」と話していたという。

 猪木氏の言葉の真意を、徳光が解説した。「猪木さんが新日本プロレスを立ち上げる前の日本プロレス、馬場、猪木の2タワーでプロレスのある意味、全盛期を迎えた時があった」。故ジャイアント馬場さん、猪木氏のタッグはBI砲と呼ばれていた。徳光は「その時に蔵前国技館で大きな一戦をした」と語り、国技館という言葉に対する猪木氏の思い入れを推測した。

 一方で、猪木氏の闘病生活の大変さを目の当たりにした瞬間があったという。「ショックだったのはね、お帰りになる時に車いすじゃなくて、ストレッチャーに乗ってお帰りになった」。それでも徳光は「“寛ちゃん(猪木氏)、俺も81でまだやってるんだから、寛ちゃんが出てくれたっていうのが一番のテレビをご覧の皆さん、特にリハビリに励んでいる皆さんにとりましては力になったと思いますから”と言ったら、終始笑顔で、あまり動かない手で一生懸命に動かしてくれたのが大変、印象的だった」と、懸命に生きる猪木氏の姿を振り返っていた。

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2022年9月3日のニュース