カジサック「自殺も考えた」 人気絶頂当時の思いを告白「芸能界に戻るつもりは1ミリもなかった」

[ 2022年7月29日 15:21 ]

カジサックことキングコングの梶原雄太
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 登録者数236万人のユーチューバー“カジサック”としても活動する、お笑いコンビ「キングコング」の梶原雄太(41)が29日、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」(月~金曜後1・00)に生出演。「自殺も考えた」というほど追い詰められた過去について明かした。

 梶原は2001年、西野亮廣とのコンビ「キングコング」として大会史上最短となる結成2年3カ月で「M-1グランプリ」決勝進出を果たし、同年に始まったフジテレビのバラエティー番組「はねるのトびら」レギュラーに大抜てき。大ブレークし多忙な日々を送っていた。

 人気絶頂の2003年、梶原は失踪事件を起こした。これについて梶原は「住んでいた大阪でレギュラー5~6本、東京で4本あって、本当に忙しかった。1日平均2時間くらいしか眠れなかった」と明かし「まだ若手で、実力も伴っていないのにテレビに出ているストレスもあったし、若かったから西野とも喧嘩をたくさんした。僕はそれを誰にも相談せずに一人で抱え込んでしまった。1年間の休みも一日もなくて、溜め込んだものが爆発してしまった」と失踪に至った経緯を告白。

 レギュラーのラジオの収録後に「頭がパーン!と飛んだ」といい「3日間、記憶が全くなくて、気が付いたらカラオケボックスに一人でいた」という。その後、表舞台に出ず2カ月半の休養に入った。

 「心身症という病気だったんですけど、記憶喪失、自虐症、対人恐怖症の3つが同時に襲ってくる。強烈でした」と振り返り「お医者さんに通いながら、テレビを見ないように。1週間くらいは死にたいとか、自殺をしたいとか考えたりして…」と回顧。「人間を辞めたいという感覚だった。働きたいという気持ちも、芸能界に戻るつもりも1ミリもなかった。ただただ、生きていただけだった」と打ち明けた。

 そんな中、吉本興業と相方の西野が「待っている」と話していることを母親から告げられ、考えたのちに「戻らなきゃいけない」と決意したという。「お医者さんからは、この短期間で立ち直ったのは奇跡と言われました」と懐かしんでいた。

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2022年7月29日のニュース