セイン・カミュ 世界各地で生活後、6歳で来日し45年「第二の故郷」日本語は堪能も「漢字はいまだに…」

[ 2022年7月15日 15:18 ]

タレントのセイン・カミュ
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 タレントのセイン・カミュ(51)が15日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。来日するきっかけや当時の生活について語った。

 米ニューヨーク出身で6歳で来日し、45年となる。母はフランス系イギリス人で、大叔父は「ノーベル文学賞」を受賞した作家・アルベール・カミュ氏だという。

 母の再婚相手が日本人で、航空会社で働いていたため、様々な国で幼少期を過ごしたというカミュ。「生まれたのはアメリカ、ニューヨークなんですけれども、そこから母と一緒にバハマに行ったり、そこからレバノンに行って。レバノンで育ての親、日本人の父と出会うわけなんですけれども、そこで中東の航空会社の支店長をしてたもんで、で戦争が始まって、危ないということでレバノンからエジプトに脱出して」と回顧した。

 エジプトでは2年ほど滞在、「その時はアラビア語とフランス語と英語をしゃべったんですけど。で、ギリシャに1回行って、エジプトに戻って荷物をまとめて初めて日本に来たのが76、7年ぐらいですかね」で6歳の時だったとした。アラビア語は今は話せないとしながらも、「こないだあるテレビ局で“何カ国語、ありがとうって言えますか”と尋ねられたら、どうやら31カ国語で一応ありがとうは言えるみたいなんですけど」と驚きの告白をしてみせた。

 日本では神奈川県藤沢市に住み、普通の公立小学校に通っていたとし、「今までは外国人というのが当たり前のようにいた環境で。当時の藤沢というのはまだ田舎というのもありまして、その学校に行ったら、僕が1人の外国人というわけで、なのでみんな指をさして“あっ、外人”って言うわけですよ。“えっ、どこ、誰、誰、俺?”みたいな感じだったんですけれども」と苦笑。「で、近所内では唯一の外国人家族だったもので、すぐ近所のみんなは分かってくれて。で、僕からしてみたら外国人が逆にいないのが不思議な感じで。日本は当たり前なんですけど、日本人が多い国だなと思ったことがあります」と振り返った。

 最初は日本語を覚える気はなかったと明かされると、「最初は2年周期で動いていたもんですから、2年たったらまた違うところに行くんだろうなという思いで来てたもんですから、日本の小学校入ったんですけれども、コミュニケーションが取れないとダメなので、嫌でも覚えなきゃいけないっていう」とカミュ。「ただ漢字というのはいまだにダメですね。なかなか友達になれないですね。自分が変換する分にはいいんですけど、送られてくるものが読めないので、凄く困りますね」と明かした。

 45年過ごした日本については「いや最高ですね。もう“第二の故郷”っていう感じですかね。育っているのがこっちなので」と笑顔。「わびさびだったりとか、本音と建前もありますけれど、和を中心としようとしてるじゃないですか、丸く収めるとか、水に流すとか、そういった穏便な感じの文化なのかなって。なのに繊細だったりしますし、人に対する思いやりだったりとか、気配りだったりとか」と良いところを挙げた。

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2022年7月15日のニュース