「東京ロマンチカ」三條正人さん、死の間際まで持ち続けていた“歌手魂”

[ 2017年10月13日 10:15 ]

三條正人さん(02年撮影)
Photo By 共同

 5日にマントル細胞リンパ腫のため、74歳で亡くなった「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカル、三條正人さん。甘い歌声で一時代を築いた三條さんを取材していると、驚いたのは、最後まで持ち続けた気力だった。

 事務所関係者によると、亡くなる前日の4日に、遺品を家族が調べたところ、携帯から馬券を購入していたことが分かったという。これには医師もビックリ。「生きようとする気持ちがすごい」と感心していたそうだ。

 ムード歌謡の人気グループ「黒沢明とロス・プリモス」で活躍した徳永淳(63)も「三條さんのレコーディングに昨年、コーラスで参加した時、“オレ、まだ歌えるだろう?”って言っていたことを覚えています」と、闘病しながらも前向きだった姿を振り返っていた。

 最後のステージは、9月17日に群馬県富岡市で行われた公演でのゲスト出演。会場までは両脇を支えられるようにしていたが、本番ではしっかりとステージに立ち、「小樽のひとよ」など4曲を歌い上げていたという。

 1973年にフジテレビのお見合い番組「ラブラブショー」で共演したことをきっかけに結婚した女優、香山美子(73)とは最後までおしどり夫婦だった。三條さんの看病で仕事をセーブしていた香山は、1人息子と最期を看取った。弔問に訪れた音楽関係者に「ステージと違って、家ではダラ〜っとしていたのよ」などと時折、涙をこぼしながら、病魔と闘い抜いた夫をたたえるように、思い出を語っていたという。

 今月半ばに予定されていたラジオの生放送に備え、三條さんは病室からメンバーに連絡もしていた。

 亡くなる直前に買った馬券が当たったかどうかは分からないが、夢を追い続けていたのは間違いない。NHK紅白歌合戦に6度出場。昭和の音楽史に残る甘い歌声は、正反対の強い意志が生み出していたからこそ、聴く人の胸に響いたのだろう。そうしみじみ感じさせる最期だった。(記者コラム)

続きを表示

この記事のフォト

2017年10月13日のニュース