さんまに思う…秋の訪れ

[ 2016年9月19日 09:15 ]

 【佐藤雅昭の芸能 楽書き帳】社用で札幌に行ってきた。9月9日夕、赤レンガで有名な旧北海道庁本庁舎前の広場を通ると、さんまを焼いた匂(にお)いが鼻孔をくすぐった。残念ながら催事は終わっていて、文字通りの「後の祭り」だったが、根室から来た業者が即売会を続けていた。

 東京の人間にとって、さんまと言えば目黒。9月頭に駅前商店街で「さんま祭り」が開催され、例年3万人の人出でにぎわう。1996年に始まり、第3回から岩手県宮古市がさんまを提供。今年も7000匹がこんがりといい具合に焼かれた。JR目黒駅は実は品川区にあり、正式名称は「品川区の目黒のさんま祭り」とか。ややこしい。

 むろん「目黒のさんま」という江戸の古典落語の演目がきっかけで始まった。この噺(はなし)、在府中の殿様が主人公。馬の遠乗りに出た折、目黒の農家で食べたさんまの味が忘れられず、後日、日本橋の魚河岸から取り寄せた。ところが、「さんまは庶民の魚。殿の口に入れさせるわけにはいかない」と気を回した家来が脂や骨を抜いて調理したものを出したため、まずいったらありゃしない。思わず殿様が「さんまは目黒に限る」と言ったのがサゲになる、おなじみの一席だ。

 話が完成したのは徳川3代将軍家光の在位時代(1623―1651)と言われるため、彦六で亡くなった8代目林家正蔵(1895―1982)は殿様を「徳川将軍家」とし、2代目禽語楼小さん(1848―1898)は、速記によると雲州松江18万石第8代城主松平出羽守斉恒(なりつね)で演じていた。

 落語ではさんまは庶民の魚として描かれるが、不漁もあって近年は高級魚になっている。不漁の原因は、日本近海にやって来る前の公海で「台湾と中国が乱獲してしまうため」と専門家は指摘する。安々とは日本の食卓にのぼらないわけだ。

 釧路出身の筆者は、荷台から今にもこぼれんばかりにさんまを積んだトラックが道を行き交う風景をはっきりと覚えている。あの頃、1匹10円もしたろうか。そんな時代を思い起こしながら、小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」(62年公開)でも見ることにしよう。確か、映画の中にさんまは出てこなかったように思うが、秋の夜長にはぴったりの、しみじみとした名作。当時21歳の岩下志麻さんも美しく、ここから脂が乗っていく。(編集委員)

 ◆佐藤 雅昭(さとう・まさあき)北海道生まれ。1983年スポニチ入社。長く映画を担当。

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