ルマン24時間 トヨタの悲劇の喪失感たるや…1年後の大団円なるか

[ 2016年7月4日 08:52 ]

ルマン初制覇へひた走るトヨタ5号車だったが…(AP)

 ルマン24時間レースを取材したのは1980年代後半だった。日本からはトヨタ、ニッサン、マツダの3大メーカーが参戦。自慢の怪物マシンを本場のポルシェやジャガー、メルセデスなどと競わせた。結果は芳しくなかった。歴史と伝統を誇る欧州メーカーの牙城を崩すどころか、ほとんどの場合、けんもほろろに尻尾を巻いて退散する、が実情だった。

 87年のこと。トヨタの実質的ワークスチーム、トムスの舘信秀監督(現会長)は夜明けを待たずリタイアしたトヨタ87Cを見つめ「ルマン24時間ってのは…ガマン24時間なんだよ」と、筆者の珍しい名字をダシにしたギャグを気丈に飛ばしてピット奥に消えていった。この年、優勝したのはポルシェの名車962C。陳腐な表現だけど、とにかく頑丈なクルマだった。細かなトラブルを繰り返す日本車との差は明らかだった。

 その後、91年にマツダ787Bが日本車初の総合優勝を勝ち取ったものの、トヨタは2位が4回と栄冠に一歩届かない。2年前の2014年は世界耐久選手権連戦連勝でルマンに乗り込み、中嶋一貴がポールポジションを獲得。期待が高まる中、決勝も首位を独走した。だが、漆黒の闇に包まれたユーノディエールで、中嶋の愛車TS030ハイブリッドは突然息絶えた。

 そして今年、歴史は繰り返された。しかも残り1周で初優勝という、これ以上ない悲劇的な場面で。

 関係者の受けた衝撃は底知れないだろう。日本のモータースポーツファンにしても同様だ。ちなみに地元フランスの愛好家にとってもかなりショックだったらしい。

 フランス随一のスポーツ新聞レキップのフェイスブックには「残酷だ」「なんという不運か」「ものすごい失望だ」というコメントが並んでいる。一方で「真の勝者はトヨタだ。ポルシェではない」「ブラボー、トヨタ」「来年はもっと速くなって帰ってくるだろう」と、好意的な声も数多い。中には「トヨタのピットを黒猫が横切ったのでは」という謎の指摘もあった。もしかしたら今回の出来事が契機となり、欧州ではトヨタのファンが爆発的に増えたのかもしれない。

 それにしても、この喪失感。どこかで味わったなあと個人的な記憶をたどると、「ドーハの悲劇」(93年)、「原田の失速ジャンプ」(94年)以来だ。特に後者は現地で直接取材していただけに今も忘れられない。目の前で実際起きたことなのに全く現実味がなく、ただただあぜんとしていた自分を思い出す。

 ご存じの通り、この2例には4年後の続きがある。「ドーハの悲劇」は「ジョホールバルの歓喜」への序章にすぎず、「原田の失速ジャンプ」には「白馬の奇跡」という大団円が待っていた。おそらくトヨタも来年の反撃に向け、ファイティングポーズを構え直しているはずだ。

 サッカーW杯や五輪と違い、ルマンの場合「ガマン」するのは1年だけでいいのだからね。(記者コラム・我満 晴朗)

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2016年7月4日のニュース