斉藤由貴 女優業は「運命」デビュー30年の境地、表現者の喜び

[ 2016年7月4日 08:05 ]

舞台「母と惑星について、および自転する女たちの記録」の稽古に臨む斉藤由貴(左は鈴木杏)(撮影:久家靖秀)
Photo By スポニチ

斉藤由貴インタビュー(下)

 女優の斉藤由貴(49)が“鬼母”役に挑み、柔和なイメージを一新する。ビル建て替えのため8月7日をもって一時休館に入る日本演劇界の中心の1つ、パルコ劇場(東京都渋谷区)の“最後”の新作舞台「母と惑星について、および自転する女たちの記録」(7月7~31日)に出演。「本当にやりがいがあります」と新境地開拓に意欲した。NHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)も掛け持ちし、持ち前のコメディエンヌぶりを存分に発揮。デビューから30年。表現者としてあり続ける喜びを感じている。

 斉藤が「真田丸」で演じているのは、徳川家康(内野聖陽)の最愛の側室・阿茶局(あちゃのつぼね)。家康ファミリーのコミカルさを見事に体現している。

 第6話「迷走」(2月14日)。阿茶局が伊賀越えで疲れた家康の足を揉んでいると、本多忠勝(藤岡弘、)が現れ、ホコリが舞って咳き込む。第17話「再会」(5月1日)。豊臣秀吉(小日向文世)の妹で、家康の正室・旭(清水ミチコ)は終始、仏頂面。家康は「少しは笑ってみせてくれ。ワシに嫁いでから、ずっとその顔じゃ。事情はともあれ、ワシらは夫婦になったのじゃ。多少は心を開いてくれてもよかろう。さ、さ、笑ってくれ」。旭に耳打ちされた阿茶局は「笑っておられるそうです」。絶妙の間とセリフ回しで爆笑を誘った。

 「内野さんの家康ありきなんです。(脚本の)三谷(幸喜)さんが描き、内野さんが演じる家康は小心者で、小狡い、ひょうきんなキャラクター。その寵愛を受けた女はどんな女か…というところから、割と役を立ち上げていったところはあります。内野さんの横で芝居をしていると、自然と、こんな感じなんだなというのが分かってくるところがあるんですよね。内野さんは綿密に芝居を作り込んでこられるので、私はふっと気の抜けるようなナチュラル感というか。時代考証的なことを言うと違うのかもしれないですが、そんなふうにして楽しんでやっています」

 今後は阿茶局が大坂の陣で和議の使者として駆り出されるヤマ場もあり、斉藤の演技が注目される。

 雑誌のインタビューで「女優業は空気のようなもの。吸わないと死んでしまう」と答えたほどだが、もともと女優になる気はなかった。1984年、第1回東宝シンデレラオーディションに母親が応募。「私が学校で浮いていたので、目新しい経験でもさせてあげなきゃと、たぶん本当に母の気まぐれ、思い付きだったと思います」。最終選考まで残ったものの、グランプリは沢口靖子(51)。しかし同年「少年マガジン」(講談社)第3回ミスマガジンでグランプリに輝き、明星食品「青春という名のラーメン・胸さわぎチャーシュー」のCMに抜擢。85年には歌手デビュー曲「卒業」が30万枚を超えるヒットを記録し、フジテレビ「スケバン刑事」で連続ドラマ初主演。翌86年にはNHK連続テレビ小説「はね駒」のヒロインを務め、トップ女優への階段を駆け上がった。

 演技に目覚めた転機を聞くと「最初の頃から、のめり込んでいました。最初の頃から本当に芝居をするのが当たり前というぐらい、自分にしっくりきていました。私はこの世界に生きるべくして生きるんだというふうに、その自覚すらないぐらい、普通にやっていたと思います。新人の頃も演技に関して勉強したという印象はないんです」と振り返る。まさに天職。「すごく月並な言い方になりますが、これも私の人生に用意された運命のようなものなんだな、というふうに、口幅ったい言い方ですが、そんなふうに考えているところはあります」と表現した。

 デビューから30年。100%前向きになれない仕事への葛藤もあった。「でも、自分で楽しもう、興味の引かれる何かを探して自分の気持ちを上げていくという勉強になりました。そういう経験も踏まえ、おもしろい仕事を頂けることの喜びを今、はっきり自覚できるようになったと思います。殊に最近は一体どういう巡り合わせなのか分からないですが、本当に食指を動かされる仕事を頂くことが増えてきました。この歳になって、と言ったら変ですが。新しいチャレンジになる今回の舞台もそうです。それはすごくうれしいことで、不思議な流れみたいなものを感じます」。

 女優業はもちろん、歌手、文筆業、ニッポン放送「オールナイトニッポンMUSIC10」(木曜後10・00)などのラジオパーソナリティー、TBS「小田和正 クリスマスの約束」などのナレーションと、活動は多岐にわたる。今後については「とにかく自分を表現できるということが、どれだけ素晴らしいことか、恵まれたことか、すごく強く感じるので。自分を表現できる場に死ぬまでずっとありたいと思っています」と見据えた。斉藤由貴は表現者として歩み続ける。

続きを表示

この記事のフォト

2016年7月4日のニュース