吉田喜重監督「50~60年代の映画に対して批判的に見ていた」

[ 2013年1月15日 21:11 ]

大島渚監督死去

 ▼映画監督吉田喜重さんの話 松竹に入社し、最初に製作にかかわった映画の助監督が大島だった。生活のために映画監督になったという共通点もあり親しくなったが、互いの考え方の違いが分かり、1年ほどで疎遠になった。ただ2人がそれぞれ、商業主義に流れていた1950~60年代の映画に対して初めから批判的に見ていたことは共通している。ご冥福をお祈りします。

 ▼映画評論家の山根貞男さんの話 日本映画の全盛期が終わって曲がり角を迎えたときに、新しい波として先陣を切ったのが大島渚さんだった。映画を通じて、言いたいことをはっきり言う。戦後の映画史で、これほどに闘い続けてきた監督はいない。人前で怒鳴ることもあったが、それは「大島渚」を演じていただけ。素顔はものすごく繊細で優しい人で、こまやかさと過激さを併せ持った人だった。大島さんのような闘う精神を受け継いだ人は、現在の映画界には、ごくごく少なくなってしまった。

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2013年1月15日のニュース