大島渚監督 96年脳出血で倒れるも「御法度」でカムバック

[ 2013年1月15日 19:39 ]

2006年、日本映画監督協会70周年パーティーに歴代理事長の紹介で小山明子夫人(右)に付きそわれて登壇した大島渚監督

大島渚監督死去

 【大島渚監督略歴】1932年3月31日京都生まれ。京大卒業後、松竹入社。59年「愛と希望の街」でデビュー。

 60年「青春残酷物語」で日本映画監督協会新人賞受賞。日本のヌーベルバーグの旗手として注目されたが、「日本の夜と霧」が上映中止になったことをきっかけに松竹を退社。75年、大島渚プロダクションを創立、日仏合作映画「愛のコリーダ」ではシカゴ映画祭特別賞、英国映画協会賞を受賞。78年「愛の亡霊」でカンヌ映画祭監督賞受賞。「戦場のメリークリスマス」、「マックス、モン・アムール」などで国際的に活躍。96年2月に脳出血のため倒れるが、99年には「御法度」でカムバック。2000年には文部大臣芸術選奨、紫綬褒章を受章。夫人は女優の小山明子(77)。

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