強烈だった尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」歌詞を大幅に変えて大ヒット 

[ 2012年6月1日 17:06 ]

71年12月31日、第13回日本レコード大賞で「また逢う日まで」を熱唱する尾崎紀世彦

 インパクトの強いイントロ、濃いヒゲと立派なモミアゲがエキゾチックな顔立ちをより印象深くし、野生的な野太い声は一度聞いたら忘れない。

 ソロデビューから半年、当時26歳の尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」が有線放送からレコード売り上げまで、チャートというチャートを席巻。その歌がテレビからラジオから流れない日はなかった。

 流れ流れて尾崎が歌うことになった曲だった。当初、エアコンのCMソング候補として、人気漫画「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしが作詞、筒美京平作曲で製作されたが、この話がご破算になると、筒美の曲に今度は阿久悠が詞をつけて「ひとりの悲しみ」とタイトルも変更し、コーラスグループの「ズー・ニー・ヴー」がレコード化した。しかし、後に黄金コンビとなる阿久・筒美をしてもヒットにはいたらなかった。

 尾崎のプロデューサーがこの曲を聞き、どうしても歌わせたいとして、阿久に詞の書き換えを求めたところ、阿久は「一度出したものを変える気はない」と拒否。それでも熱意が通じ、どうせならとタイトルも変更。内容も学生運動に夢破れた青年をテーマにしたものから、同棲していた部屋から2人が出て行く男女の別れのシーンを描いたものにガラリと変えて大ヒット。阿久・筒美コンビ最初の日本レコード大賞受賞曲となった。

 「芸能界は嫌いの上に大がつくほど。歌う場所があるからいるだけ」と若かりしころの尾崎は公言してはばからなかった。英会話を学べるホテルマンを養成する専門学校に通っていた時にハワイアンバンドを結成。続いてウエスタンバンド、コーラスグループ「ザ・ワンダース」にギター担当で参加。解散後はナイトクラブなどでソロで歌っていたところ、オーディションに通りデビューが決まったのは70年のことだった。

 「自分に正直にありたい」と迎合することなく、嫌な仕事は嫌ときっぱり断り、先輩でも悪いと思えば意見する尾崎は、他の歌手仲間からとっつきにくいとも言われていたが、その歌唱力は右に出るものはいなかった。時々スマッシュヒットを飛ばしたものの、「また逢う…」の鮮烈なイメージが強く、その後発売した「さよならをもう一度」「愛する人はひとり」はそれぞ44万枚、39万枚売れたが、96万枚をセールスした「また逢う…」を凌駕することはできなかった。

 87年、ビールのCMソングになった「サマー・ラブ」ではかつての野性味たっぷりの声に優しさも加わって、新しい尾崎紀世彦の世界を見せてくれた。

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