豪傑で親分肌 美空ひばりさんにも愛された

[ 2012年5月4日 06:00 ]

長良グループ会長事故死

 長良氏は幼少の頃から、長野県内の興行を仕切る「市川興行社」の経営者だった父親の背中を見て育ち、56年に芸能界入り。18歳で雪村の初代マネジャーとなった。市川興行社で働き、50年来の付き合いがある友人、北村朗さん(79)は「少年時代は番長だった。豪傑で親分肌。生活が苦しくてもおくびにも出さず、話が上手で、多くの人に慕われた」と振り返る。

 「君こそわが命」の作曲は、当時無名だった作曲家の故猪俣公章氏に依頼。水原さんの復活とともに、猪俣さんもブレークさせ、長良氏の名が一気に芸能界に広がった。

 北村さんによると、ひばりさんの弟で俳優の香山武彦さん(享年42)と兄弟のように親しくなり、ひばりさんも信頼を寄せた。ひばりさんが75年ごろ、長良氏に宛てた手紙につづられていた歌詞「草原の人」は2002年、つんく♂(43)が作曲し、松浦亜弥(25)が歌って作品化された。

 木倉音楽事務所時代の後輩の斉藤峻さん(67)は「事務所の経営がどんなに苦しくても、財布に1万円札、5000円札をたくさん入れて、盛り場で女の子たちにチップをあげていた。偉ぶることなく、人を笑わせることが大好きな人だった」と誰にも愛される人柄をしのんだ。

 ◆長良 じゅん(ながら・じゅん、本名神林義忠=かんばやし・よしただ)1938年(昭13)3月10日、東京都生まれ。幼少期は浪曲師として舞台に立つ。木倉音楽事務所を経て、68年にエイ・アンド・エイ事務所を設立し独立。芸能プロ108社で構成する日本音楽事業者協会の名誉理事。

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2012年5月4日のニュース