寛平 苦難乗り越えて4万1040キロ走破

[ 2011年1月22日 06:00 ]

ゴールした間寛平(左)を祝福する明石家さんま

 マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦したお笑いタレントの間寛平(61)が21日、大阪市中央区の大阪城野外音楽堂(野音)にゴールした。2008年12月17日に、なんばグランド花月(NGK)をスタートして766日。その後、さらに走ったNGKまでの距離を含め、計18カ国、4万1040キロを走破した。NGKでは盟友の明石家さんま(55)らが出迎えた。

 大阪から東に向かってスタートした寛平が、2年以上をかけて宣言通り西から帰ってきた。

 約60センチの歩幅で刻んだ距離は4万1000キロ以上。会場では、観客がメッセージを書いた全長1キロのゴールテープが何重にも蛇行して張られ、観客席の間を走り抜けながら次々と切っていった。

 壇上に用意された最後のテープを切ったのは午後7時42分。ガッツポーズで「ウォー!」と絶叫し、「ありがとう!ただいま帰ってきました。俺は本当に幸せもんや」とあいさつ。腕を突き上げながら、約3000人のファンとともに持ちネタの「アメマー」を繰り返して喜びを体現した。

 さんまの呼びかけに応じ、休む間もなく再び走りだし、お笑いの聖地でスタート地点にもなったNGKへ。約5キロの道中、ミュージシャンで長男の慎太郎(29)が作詞作曲した応援歌「いつかのボール」を歌うと、感極まる場面もあった。

 NGKでは芸人仲間から祝福を受け、また涙。サングラスを外すと、真っ赤な目で「涙で誰がいるか分からへん」とおどけて笑いを誘った。妻光代さん(53)ら家族から花束を受け取り、慎太郎と抱き合った。

 会見ではゴールを一番報告したい人を聞かれ、応援歌「RUN寛平RUN」を作ってくれた歌手の忌野清志郎さん(09年5月死去)の名前を挙げ「“無事帰ってきました”とすぐに報告したい」と話した。

 自身の前立腺がんという試練もありながら、2年半の予定より大幅に早いゴール。心の支えになったのは家族だった。

 スポニチ本紙の取材に対し「嫁はんに苦労かけたんで、しばらく一緒にいてあげたい。ずっとほったらかしにしてた親の面倒も見なあかん」と感謝の気持ちを述べ「一番は孫と遊びたいですわ。スタート前は赤ちゃんやったのに、もう4歳と2歳。かわいいもんですよ」と、おじいちゃんの顔をのぞかせた。

 タレント活動にも意欲的で「いずれは新喜劇で地方巡業もしたい。池乃めだかと(新喜劇のネタ)“猫と猿”をやりますよ。おっちゃんやおばちゃん相手に大暴れしますわ」と大張り切り。22日深夜には早速、NGKでオールナイトの凱旋ライブに出演する。

 ◆間 寛平(はざま・かんぺい)本名・間重美(しげみ)。1949(昭和24)年7月20日、高知県生まれ。私立柏原高(現東大阪大柏原高)卒。70年、吉本興業に研究生として入社。74年に座長。レコード「ひらけ!チューリップ」が大ヒット。「アへアへアへ」、「アメマ~」「かい~の」などのギャグが人気。上方お笑い大賞など受賞。1メートル64、60キロ。靴のサイズ26センチ。血液型AB。

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2011年1月22日のニュース