「天城越え」の作詞家、吉岡治さん急逝…

[ 2010年5月18日 06:00 ]

都内の病院で死去した作詞家の吉岡治さん

 都はるみ「ふたりの大阪」や石川さゆり「天城越え」などのヒットを生んだ戦後を代表する作詞家、吉岡治(よしおか・おさむ)さんが17日午後3時、都内の病院で死去した。76歳。山口県出身。死因は不明で、遺体は病理解剖後の18日に都内の自宅に戻る。遺族によると吉岡さんは11日に高熱を発して入院。容体は安定していたが17日に急変、帰らぬ人となった。

 長男の天平さん(39)によれば、数年前から吉岡さんは運動能力や自律神経に失調を来すパーキンソン病を患っていた。のみ込む力が弱まっていたため、誤嚥(ごえん)性肺炎による発熱を繰り返していたが、ここ1年発熱はなかった。
 しかし11日、急性甲状腺炎による39度以上の高熱で入院。病床で詩を書くなど病状は落ち着き、亡くなった17日午前まで家族と普通に会話していたが、正午ごろ「胸が痛い」と訴えその後意識不明に。妻の久江さん(74)ら家族にみとられながら眠るようにこの世を去った。点滴3本による治療を受け「なんだ、点滴の花盛りだね」と言ったのが最後の言葉となった。
 吉岡さんは童謡作家を志し、詩人の故サトウハチローさんに師事。作家の野坂昭如氏(79)とともにコント番組を手がけるなど放送作家としてキャリアをスタート。62年に野坂氏と一緒に童謡「おもちゃのチャチャチャ」を手掛けたのが、作詞家として第1作。翌年レコード大賞童謡賞を受賞し出世作となった。
 その後は活躍の場を歌謡界に。新宿・歌舞伎町のスナック「萌木」がたまり場で、作曲家の故市川昭介さんやその弟子の歌手都はるみ(62)、岡林信康(63)らと音楽談議で夜を明かした。
 山口県出身で育ちは東京ながら、80年の都のヒット曲「大阪しぐれ」など大阪ものに定評があり、描写力は随一。カラオケブームの80年代に、当時のディレクターから石川さゆり(52)にしか歌えない難易度の高い作品をと頼まれて作ったのが名曲「天城越え」だった。そして、その石川に提供した「だいこんの花」(今年3月発売)が遺作となった。

 ◆ 吉岡 治(よしおか・おさむ)1934年(昭9)2月19日、山口県生まれ。文化学院卒。65年「悦楽のブルース」で本格的に作詞家へ転身。89年「好色一代女」で日本レコード大賞作詞賞に輝き、日本作詩大賞は3度受賞した。03年には紫綬褒章を受章。日本作詩家協会副会長。

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2010年5月18日のニュース