[ 2010年5月16日 06:00 ]

イタリアで活躍するフランス人演出家ドニ・クリエフ

日本での本格上演は92年11月に東京と名古屋で行われたウォルフガング・サヴァリッシュ指揮、市川猿之助演出によるバイエルン州立歌劇場の引っ越し公演以来18年ぶり。国内初演ですら84年5月と20世紀も終盤になってからのことで、この作品がいかに上演されないかが分かる。ちなみに、この時はクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮、クルト・ホルス演出によるハンブルク州立歌劇場の来日公演。当時のプログラムを見返すとレオニー・リザネック(皇后)、ギネス・ジョーンズ(バラクの妻)ら往年の名歌手たちの懐かしい名前がキャスト表に並んでいる。

 世界に冠たる音楽過密都市・東京にして18年間も本格上演されなかった名作オペラ。上演されにくい理由を考えてみると、ストーリーが幻想的かつ哲学的で難解な要素も含まれていること。そして音楽面でも難易度がとても高く、一定の上演水準を満たすキャストを揃えるのが容易ではないからだ。
とはいえ、オーケストレーションの魔術師リヒャルト・シュトラウスと文豪フーゴ・フォン・ホフマンスタールによる共同作品第4弾だけにジックリ予習をして、実際の公演に臨んでみると、えも言われぬ独特の味わいのあるオペラであることが分かる。そして質の高い上演にめぐり会えるとしみじみとした深い感動に誘われる作品でもある。
 シュトラウスとホフマンスタールのコンビといえば「ばらの騎士」を思い浮かべる方が多いと思う。「ばらの騎士」はこのコンビがモーツァルトの「フィガロの結婚」の20世紀版をイメージして作った作品といわれているが、「影のない女」は同じく「魔笛」の20世紀版を意識して作られたとされる見解が一般的だ。確かに基本的な筋立ては似ている。2組の男女が真の幸福を求めて試練に立ち向かう。それを高みに存在する人物(または神)が見守り、さり気なく導く。この人物は「魔笛」のザラストロ、「影のない女」ではカイコバートと位置付けることが出来よう。タミーノとパミーナは皇帝と皇后、パパゲーノとパパゲーナは染物師バラクとその妻に当てはまる。魔術が登場するなどストーリーが幻想的なため、本来の意味があいまいになりがちで多義的な解釈が可能であることも共通している。
 着想したのはホフマンスタールの方だった。1911年、「ばらの騎士」の初演直後にヴィルヘルム・ハウフの童話「冷たい心臓」をヒントにメルヘン的な要素をもったオペラを作ることをシュトラウスに提案した手紙が残されている。途中に「ナクソス島のアリアドネ」を挟む形で1915年に台本を脱稿し17年にオペラとしての完成を見る。ホフマンスタールはこの作品に特段のこだわりを持っていたようで、2年後にはオペラ台本を小説に再構成しているほどだ。なお、現代ではほとんど上演される機会がないワーグナー初期のオペラ「妖精」のストーリーが「影のない女」に酷似していることも付け加えておかねばなるまい。2人がワーグナーに影響を受けたか否かを明らかにする資料は残されていないが、シュトラウスが「妖精」の初演(ワーグナー死後の1888年)に関わっていたことだけは事実である。
 音楽面ではシュトラウスの作品群の中で最大編成のオーケストラを使用していることが第一の特徴。大編成ながら大きく鳴らすトゥッティ(全奏)はほんの数回あるのみで、数多くの楽器が組み合わせを変えながら室内楽的ともいえる精妙な響きを多彩に変容させていくところにシュトラウスの円熟ぶりが見て取れる。
第2の特徴としては調性の巧みな使い分けだ。「エレクトラ」で調性の壁を破る寸前の当時としては、最先端をいく和声法を駆使して音楽を書き上げたシュトラウス。「影のない女」では古典派以来のオーソドックスな和声と最先端の調性コントロール術を混在させ、登場人物のキャラクターや場面の雰囲気を見事に描き分けている。例をひとつ挙げるなら染物師夫妻だ。心根の優しいバラクに付けられた音楽は調性がハッキリした口ずさむことが可能なメロディーが多い。これに対して苛立つバラクの妻は臨時記号を多用し調性があいまいで複雑難解な旋律に乗せて歌われる場面がほとんどだ。(これを正確に歌い演技もできる歌手は稀少である)そして、彼女の内面の変化に合わせて音楽も次第に変わっていく点にもぜひとも耳を傾けていただきたい。シュトラウスの円熟の技法が冴え渡る場面にほかならないからだ。

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2010年5月16日のニュース