葬儀に娘参列せず…山城新伍さん親族“恨み節”

[ 2009年8月19日 06:00 ]

山城新伍さんの遺影と位牌(いはい)を手にする実弟の渡辺鎮男さん

 嚥下(えんげ)障害による肺炎のため12日に70歳で亡くなった俳優山城新伍さんの本葬が18日、京都市左京区の妙満寺でしめやかに営まれた。山城さんと2度の結婚を経て、95年に破局した女優の花園ひろみ(68)と一人娘の女優南夕花(42)は姿を見せなかった。喪主を務めた弟の渡辺鎮雄さん(69)をはじめ遺族からは「参列は無理とは思っていたが悲しいことだ」と“恨み節”も飛び出した。

 東京都町田市の特別養護老人ホームで息を引き取った山城さん。最期をみとった弟・鎮雄さんが京都に遺骨を持ち帰り、この日、先祖が眠る寺で本葬が営まれた。遺影は9年ほど前に撮影された本人お気に入りの1枚。芸能仲間からの供花は固辞し、親族、旧知の友人の計18人が参列。その中に“元家族”の花園と南の姿はなかった。
 山城さんは65年に東映で同期だった花園と結婚。一人娘にも恵まれて幸せな夫婦生活を送ったが、山城さんの浮気などが原因で85年に離婚。その後、91年に復縁して話題を呼んだが、これも長続きせず、95年に2度目の離婚を迎えた。関係者によれば、これも山城さんの女性問題が原因。娘の南が雑誌のインタビューで「(山城さんを)父とは呼びたくない」と絶縁を宣言。戸籍から自らの名前を抜いたと明かすほどの近親憎悪を生んだ。
 鎮雄さんによれば、昨年6月頃、山城さんを老人ホームに入所させる際に花園にも報告したが、「死のうがどうしようが金輪際、連絡しないでほしい」と言われたという。それでも、ホームでの山城さんが「娘に会いたい」と繰り返し口にしていたこともあり、死後、連絡を取ろうとしたが、音信不通が続いた。母さよさん(96)も「なにより孫が一度も見舞わなかったことが残念」と落胆しているという。
 鎮雄さんは「2人は法事でここに来たこともあるわけですから、心あれば来られたはず。実に悲しい」とも話し、無念さをにじませた。
 戒名は「白慧院彰芸日安居士(びゃくえいんしょうげいにちあんこじ)」。白は代表作の「白馬童子」から取ったという。遺骨は分骨され、もう1つの菩提(ぼだい)寺である金閣寺(京都市北区)にも納められる。「のど仏」の入っている方を妙満寺に納骨し、生前に故人が新しく建て替えていた墓石の下で山城さんは安らかな眠りにつく。東京・目黒区にある花園の自宅はこの日も留守。四十九日後の納骨式への参列も可能性はなさそうだ。

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2009年8月19日のニュース