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村田VSゴロフキンは驚額の20億円超マッチで“日本史上最大規模” 90年のタイソン戦は15億円

[ 2022年4月10日 05:30 ]

WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦12回戦   〇ゲンナジー・ゴロフキン TKO9回2分11秒 ●村田諒太 ( 2022年4月9日    さいたまスーパーアリーナ )

1R、ゴロフキン(左)と打ち合う村田(撮影・島崎忠彦)
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 世紀の一戦の実現にこぎ着けた帝拳ジム・本田明彦会長(74)は決戦前日、「奇跡です」と言って安堵(あんど)した。

 世界的に最も層が厚いミドル級は海外ではヘビー級と並んで人気が高く、動く金額の桁が違う。今回のファイトマネーは総額20億円超。ゴロフキン15億円、村田は6億円(いずれも推定)で、日本人としても94年WBC世界バンタム級王座統一戦の薬師寺保栄と辰吉丈一郎の1億7000万円(両者とも)を超える最高額だ。通常時でも国内開催が簡単ではないビッグマッチだが、そこにコロナ禍が重なった。“バブル”をつくるためにホテルの1フロアを借り切り4500万円、さらに半チャーター機での来日と移動、滞在費などの経費もかさんだ。

 これまで日本史上最大規模とされていた、90年のマイク・タイソン―ジェームス・ダグラス戦(東京ドーム)のファイトマネーはタイソン900万ドル、ダグラス100万ドルで、両者合わせても当時のレートで約15億円。それを上回る金額を従来のテレビ放映権、スポンサー料、入場収入で賄うことは難しかったが、動画配信サービスのDAZNとAmazonプライム・ビデオが手を組み、海外はDAZN、日本国内はプライム・ビデオと配信先を棲み分け、費用を分担することでクリア。チケット価格もボクシングで過去最高となるリングサイドA席22万円に設定、入場者数1万5000人で「ペイラインは3月中旬には超えていた」(本田会長)という。

 実は88、90年にタイソンの日本での防衛戦を手がけたのも本田会長だった。50年以上もボクシング界に携わり、海外でも影響力を持つ「ミスターホンダ」の手腕と人脈、行動力、そして調整力がなければ、今回の“歴史的一戦”は実現しなかった。本田会長は「コロナでなければ、難しい興行ではなかった。この2年間は本当に大変だった」と振り返る。最大の敵は長引くコロナ禍だった。

 ゴロフキン陣営との交渉がスタートしたのは19年12月。だが、コロナ禍で世界中の興行が一時ストップ。その後、村田の試合は何度も決まりかけては流れた。政府に働きかけ、関係官庁との調整を進め、なんとか昨年12月29日の開催を発表したが、水際対策の強化で外国人の新規入国を禁止。延期発表後、本田会長はすぐに米国へ飛び、ゴロフキン陣営との話し合いを持った。しっかりと信頼関係を築いたことで、4カ月遅れながらも実現にこぎ着けた。「何度も諦めかけた」(本田会長)。日本ボクシング史に残るビッグマッチ実現の陰には必然とも言える理由があった。

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2022年4月10日のニュース