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村田 壮絶打ち合い9回TKO負け 観衆拍手に「少しは自分を評価してあげてもいいのかなと思う」

[ 2022年4月10日 05:30 ]

WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦12回戦   〇ゲンナジー・ゴロフキン TKO9回2分11秒 ●村田諒太 ( 2022年4月9日    さいたまスーパーアリーナ )

7回、ゴロフキン(左)と打ち合う村田(撮影・沢田 明徳)
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 WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太(36=帝拳)はIBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(40=カザフスタン)に9回TKOで敗れ、王座から陥落した。両者のファイトマネー合わせて推定20億円超という日本ボクシング史上最大のビッグマッチ。村田はボクシング人生の集大成となる大舞台で、WBA王座を19度防衛し、3団体統一も果たした百戦錬磨のレジェンドを苦しめたが、あと一歩及ばずミドル級で日本人初となる王座統一はならなかった。

 ミドル級最強王者が村田を認めた証だった。試合後のリング、ゴロフキンが愛用の青いガウンを村田に手渡す。死闘を終え、抱き合って健闘を称え合う2人には1万5000人の大観衆から拍手が送られた。

 王者同士の一戦らしく堂々と打ち合った。王者の左ジャブ、左フックを浴びながら村田は前に出る。ジャブを突き、左ボディー、右ストレートを打って下がらせるのは狙い通り。3回に相手が圧力を強めても踏みとどまって左右のボディーブロー。ゴロフキンにボディーを効かせて勝利を期待させる場面もつくった。だが、4回以降はガードの間を抜かれて被弾するシーンが目立ち、ダメージが蓄積。9回、右フックをテンプルに受けた村田はぐらつき、プロ初のダウン。セコンドから棄権の意思を示すタオルが投入され、1571秒の激闘にピリオドが打たれた。

 「総合力で上をいかれた。ブロックの隙間にパンチを入れてくる技術など完成度の高さを感じました」

 憧れの存在だったゴロフキンとの一戦を終え、激闘の跡が残る村田の顔には悔しさと満足感が入り交じっていた。

 13年8月、プロデビュー戦に勝利した村田は試合後にゴロフキンの名を挙げ、「今は勝てないかもしれないが、将来的に勝てないとは思っていない。僕自身は可能性を感じている」と話した。そして1年後、米カリフォルニア州でのゴロフキンのキャンプに2週間滞在し、高地での走り込み、スパーリングなど濃密な時間を過ごした。すでにWBA王座を10度防衛していた憧れの存在から「ハードワークが君に自信を与え、強くしてくれる。それを信じろ」の金言を贈られた。それが今回のビッグマッチへと続く“旅”の始まりだった。

 17年10月に念願の世界王座を獲得も米ラスベガスでのV2戦でブラント(米国)に敗れ、ビッグネームとの対戦プランは白紙に。19年7月に王座に返り咲き、初防衛戦で同12月にはバトラー(カナダ)を圧倒してビッグマッチが現実味を帯びたところで、新型コロナウイルスが流行。2年4カ月も試合ができない状況が続いた。心が折れそうになったこともあったが、ゴロフキンという特別な存在がいたからこそ、挫折も試練も乗り越え、この舞台にたどり着いた。「試合後もお客さんが残ってくれて拍手をしてくれた。その事実に少しは自分を評価してあげてもいいのかなと思う」。ボクシング人生の集大成と位置付けた大一番。勝つことはできなかったが、偉大な王者の背中は確実に近づいていた。

 ◇村田 諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日生まれ、奈良市出身の36歳。南京都高(現京都広学館高)―東洋大。11年世界選手権ミドル級銀、12年ロンドン五輪同級金メダル。13年8月プロデビュー。17年5月に世界初挑戦でエンダム(フランス)に判定負けも、10月の再戦で7回終了TKO勝ちしてWBA同級王座獲得。日本人五輪メダリスト初の世界王者に。18年10月にブラント(米国)に敗れて陥落も19年7月の再戦で王座に返り咲いた。身長1メートル84、リーチ1メートル90の右ボクサーファイター。

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2022年4月10日のニュース