日本ハム通算5000勝!万波 12球団最速10号で勝利に花添える

[ 2026年5月4日 06:00 ]

パ・リーグ   日本ハム3―0オリックス ( 2026年5月3日    エスコンF )

<日・オ>新庄監督(左)と勝利のタッチを交わす万波(撮影・高橋 茂夫)
Photo By スポニチ

 日本ハムが3日、オリックスを3―0で下し、史上7球団目の通算5000勝に到達した。万波中正外野手(26)が6回に左翼へ10号ソロ。3年ぶり2度目の「12球団最速10号」でメモリアル勝利に花を添えた。戦後間もない1946年に誕生し、後楽園、東京ドームを経て北海道に根付いた球団が、創設81年目で節目の勝利を飾った。

 球団1号の本塁打は「青バット」の愛称で、戦後の球界をリードした大下弘だった。戦後間もない1946年に誕生した「セネタース」。球団史には挫折も栄光もあった。歴史をつなぐ万波のソロは、左翼スタンド2階席も越え、その奥のコンコースで跳ねた。

 両リーグ最速で2桁10号到達は3年ぶり。前回は49試合目で達成したが、今回は32試合目。「素直にうれしい。凄い価値があることだし、成長を実感できる一番の指標は過去の自分との比較だと思うので、本当に凄くいいと思います」。2―0の6回2死から九里のチェンジアップを捉え、打った瞬間確信した。

 巨人、ソフトバンク、阪神、中日、オリックス、西武に続き、チームは通算5000勝に到達した。球団は目まぐるしく経営母体が変わった。大下を中心に若手スターを集めたが、わずか1年で「東急フライヤーズ」となった。初優勝は62年。巨人から名将の水原茂監督を迎えて戦力を増強し、張本勲(スポニチ本紙評論家)らを中心に栄冠を手にした。

 本塁打にも語り継がれる歴史がある。大下が「青バット」なら、23年のシーズン後、侍ジャパンの合宿に万波は数種類のバットを抱えて登場した。オレンジや緑の色が入ったものや、グリップの形状が違うものを手に打撃練習をした。七つ道具ならぬ“六つバット”は裸で持ち歩かず、練習が終わると全てビニール袋に入れていた。

 お立ち台では子供からインタビューを受けた。「背番号(66)と同じだけホームランを打って」という願いに、「俺の背番号知ってるの?頑張ります!」と笑った。報道陣の取材では残り試合数から現実的ではないと笑うも「小さい子が期待してくれるような選手でいたい」と感謝した。

 22年の新庄監督就任後も斬新な攻撃や大規模な登場演出など、球団は変革を続けている。「なるべく数字は追わないように」と万波は言ったが、チーム本塁打も12球団最速で40に到達した。(小渕 日向子)

 ≪両リーグ10号一番乗りを複数回 球団では3人目≫万波(日)が23年以来2度目の両リーグ最速10号。両リーグ10号一番乗りを複数回は5度の王貞治(巨)を筆頭に16人目。球団では62、71年張本勲(当時東映)、80、81年ソレイタに次ぎ45年ぶり3人目だ。また、26歳シーズンまでに2度は53、55年中西太(西鉄=20、22歳)、63、65、66年王(23、25、26歳)、21、24年村上(ヤ=21、24歳)に次ぎ4人目。

「日本ハム」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2026年5月4日のニュース