【駒田徳広 我が道4】天理受験に失敗し桜井商へ 智弁学園を受けなかったワケ

[ 2026年5月4日 07:00 ]

桜井商に入って打倒天理を目指した
Photo By 提供写真

 式下(しきげ)中3年生時は3番か4番を打ち、エースじゃないけどピッチャーもやった。春の県大会は1回戦敗退。私のような厄介なやつがキャプテンをやるから弱かったのかもしれない。

 高校ではなんとしても甲子園に行きたい。奈良県で一番の強豪、天理高校の一般入試を受けた。だが、不合格。学力不足はいかんともしがたかった。

 中学の成績は約180人いた学年で100番以内に入ったことがない。よかったら「おい105番だよ。もうちょっとなんだよな」という感じで、ダメだったら120番くらい。「下の上」で天理は厳しかった。

 智弁学園は受けていない。天理を落ちて智弁も落ちたら、野球人生真っ暗だ。心に大きな傷がついてしまう。

 そんな私の自宅へ奈良県立桜井商業高校(現奈良県立商業高校)の的場吉憲監督と部長の眞田哲雄先生がやって来て「ウチでやらないか」と誘ってくれた。

 一度はお断りした。親父から「大学に行ってくれ」と言われていて、東京六大学のどこかに入りたかったからだ。東大は無理として、あとの5つ。自分の成績を棚に上げ、商業科からじゃ入れないと思った。正直に話したら、先生方は口をそろえた。

 「君の成績で、どうやって東京六大学で野球やれるんや。普通科に行ったとしても、君の成績に見合った高校から、どうやって…」

 答えに困っていたら、こんな話をしてくれた。4月から的場先生が部長になり、法政大学で江本孟紀さんと同期の駒村恭平さんが監督に就任する。3年間一生懸命やったら東京の大学を推薦してくれると言う。だったら行きたい。

 ちなみに的場さんと駒村さんは天理のOB。のちにプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放つ門田博光さんと同期で、一緒に甲子園へ行っている。

 入試を受けて合格。入学してすぐ一塁手兼控え投手で試合に出してもらった。1年春の県大会準々決勝。この年の選抜でベスト8に入った郡山高校のエース、下手投げの池上浩さんから左翼フェンス直撃の二塁打を放った。

 プロ野球のスカウトが見守る中で会心の一打。1年生ながら身長はすでに1メートル85あった。ちょっとは目を付けられる存在になったと思う。

 試合は4―3でサヨナラ勝ちし、準決勝は大淀高校に17―6と大勝。決勝で天理に2―6で敗れる。入試で落とされているし、「打倒天理」が高校時代最大のモチベーションになった。

 その壁はとてつもなく厚かった。4番を打つようになった2年生の春は準決勝で0―2の零敗。夏はひどい負け方をした。初戦の2回戦で当たり、0―9の7回コールド負け。どんどん差が開いていってるじゃないか。悔しかった。これで高校野球が終わってしまった3年生より私の方が泣いた。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。 

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

野球の2026年5月4日のニュース