【歴代番記者が見た田中将大】200勝“原点”18歳で出会ったノムさんは「野球人生最大の幸運の一つ」

[ 2025年9月30日 21:08 ]

セ・リーグ   巨人4―2中日 ( 2025年9月30日    東京D )

楽天時代の田中将大(左)と野村克也監督
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 2年夏の優勝投手となった駒大苫小牧から、楽天入団時、そして24勝0敗で球団初のリーグ優勝&日本一、ヤンキース時代まで。田中将大(36)のキャリアを追い続けてきた本紙歴代番記者たちが、それぞれの思い出を振り返った。日米通算200勝への軌跡の裏側で、番記者たちが見て、感じてきたものとは――。

 濃密な原点の3年間だった。「野球人生における最大の幸運の一つ」。田中将がそう表現したのが、野村克也監督の下でのプロ最初の3年だった。

 1年目の07年。注目度満点の18歳は、野村監督にとって弱小球団強化の起爆剤だった。メディアへの露出は激増しチームが活性化。だが18歳は話題性だけで終わらせなかった。8月3日のソフトバンク戦で6回5失点ながら9勝目。「マー君、神の子、不思議な子」の名言が生まれた。この年、チームは勝率・472。一方で5月2日の2勝目から9勝目まで田中将の登板試合は11勝3敗、勝率・786と驚異的だった。

 ヤンキース時代、印象に残る試合を聞くと、まずリーグ優勝を決めた13年9月26日の西武戦を挙げた。もう一つは09年10月23日、CSファイナルS第3戦での日本ハム相手の完投勝利。200勝にはカウントされないが、監督・野村克也の最後の勝利だった。

 「“原点能力”っていうのは口酸っぱく言われた」と心に刻む外角低めの直球の大切さ。09年4月29日の日本ハム戦では完投勝利を挙げ、監督通算1500勝のウイニングボールを直接手渡した。「プロに入って野村監督で良かった。それはこの先も変わらないと思う」。その日、20歳が口にした思いは、変わることなく200勝につながった。
(07~09年楽天担当・春川 英樹)

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