【内田雅也の追球】龍馬のごとく戦え

[ 2025年4月13日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―3中日 ( 2025年4月12日    甲子園 )

<神・中>9回、二盗を決める植田(撮影・岸 良祐)
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 植田海はよく行った。阪神が1点差に迫った9回裏2死一塁での代走だった。アウトになれば試合終了、敗戦という状況で、二盗を決めた。

 打者は代打・小幡竜平。2ボールからの3球目にスタートを切り、二塁には頭から突っ込んだ。セーフの判定に胸を張って塁上に立った。

 「グリーンライトが出てたので、いいスタートが切れました」と植田は言った。敗戦後で殊勲の二盗にも言葉は少ない。

 グリーンライト(青信号)の意味は「行けたら行け」だ。それでも植田は「行けたら」ではなく「行け!」と自らを奮いたたせたのだ。“いま行かないでどうする”という自負、“オレはこれで飯を食っている”というプロ魂が垣間見えた。

 憤死なら試合終了の二盗と言えば、2013年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)東京ラウンド、台湾戦での鳥谷敬を思う。負けたら敗退の崖っぷち、1点差の9回2死一塁で二盗を決め、井端弘和の同点打を呼んだ。

 さらに1974(昭和49)年、高校野球夏の甲子園大会を思う。1点差の9回裏2死、東海大相模は一塁走者・鈴木富雄に盗塁のサインが出た。当時1年生の原辰徳はベンチで「ええっ!?」と震えた。二盗は成功し、同点打につながり、延長16回でサヨナラ勝ちした。

 監督であり父親の原貢は後に話した。「足が自慢の鈴木は入学から2年半、ずっと盗塁の練習を積んできた。死ねば終わる、あの場面で決めるためにやってきたんだ。あそこで『走れ』と指示を出してやるのが監督だ」

 ならば植田に「行け」と指示した監督・藤川球児も震えたか。いや、失敗すれば責任を取る覚悟を決めていたか。

 二盗後、小幡が右前打したが、相手前進守備で本塁突入は無理。近本光司三振で万事休した。

 見応えのあった9回裏で悔恨は島田海吏の走塁である。2点差だった1死二、三塁。二塁走者として三遊間ゴロで迷い、二塁帰塁で憤死した。

 相手二遊間は深く守り1点OKの隊形。目の前に転がるゴロで普通は自重だろう。走塁は勇気と冷静が交錯し難しい。

 こんな時、坂本龍馬の「男なら、たとえどぶの中でも前のめりに死ね」を胸に刻みたい。後戻りしなくてはならない、帰塁での憤死は慎みたい。進塁の前向きでの(間一髪の)憤死は仕方ない。龍馬の姿勢なら、また道は開ける。 =敬称略=
  (編集委員)

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