【内田雅也の追球】新球場に思う苦難の日々

[ 2025年3月2日 08:00 ]

春季教育リーグ   阪神5―5広島 ( 2025年3月1日    日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎 )

<教育リーグ 神・広>記念写真に納まる阪神・平田2軍監督(右端)ら(撮影・中辻 颯太)
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 関係者出入り口には祝花が並んでいた。オープニングゲームを迎えた阪神2軍の新本拠地、日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎は華やかな空気に包まれていた。

 三好一彦は来賓席に座っていた。1990~98年と球団社長を務めた。電鉄本社専務だった。94歳になる。

 2軍監督・平田勝男があいさつに来て「お元気そうですね」と声をかけた。「もう目も耳も悪くなってな。それでもあんたの男前の顔はよう見えるで」と笑わせた。

 「立派な球場ができました」と三好は球場を見渡した。昔話となった。

 1935(昭和10)年創設で90周年を迎えている阪神だが、2軍球場や練習場がなかった。初めて造られたのが79年3月20日完成の尼崎・浜田球場だった。

 それまでは「練習するのも甲子園。甲子園が使えない時はあちこち行ってましたね」と三好は言う。春夏の高校野球甲子園大会の期間中などは、西宮市の川重グラウンドや宝塚市の三和銀行グラウンド、遠く皇子山球場や高砂市野球場などを借りた。「武庫川河川敷でもやっていましたよ」。プロとしては恥ずかしい状態が続いていた。

 浜田球場は国道2号線を走っていた路面電車・阪神国道線の廃止で不要となった尼崎市大庄川田町の車庫跡に造られた。78年10月、球団社長に就いた小津正次郎(本社専務)が公約、実行したわけで「ブルドーザー」と呼ばれる理由の一つだ。

 「あの時の小津さんは立派でした」と言う三好も自身が球団社長だった94年10月、鳴尾浜に球場と独身寮「虎風荘」、室内練習場を備えた2軍施設建設を実行している。自ら「タイガーデン」(現タイガースデン=虎の穴)と名づけた。今となっては設備も不十分なのだが、30年以上前の当時は12球団でもトップ級の施設だった。

 いわゆる「暗黒時代」だった。「チーム強化には2軍での育成が不可欠だと思っていました。実際、2軍が強くなり、後に1軍も強くなっていきましたからね」

 98年、阪神はウエスタン・リーグで優勝し「ささやかな祝勝会を開きました」。同年限りで球団社長を退いたが、99、2001、02、03年……と優勝。鳴尾浜で鍛えられた2軍の常勝は03、05年と1軍での優勝に結びついた。三好は確かに功労者だった。その目は、新球場で育つ若虎の夢を見ていた。 =敬称略= (編集委員)

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