阪神ドラ1・森下翔太 百戦錬磨の恩師驚かせた逆方向への“人生1号”

[ 2022年11月27日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ1、中大・森下(3)

戸塚シニア時代の森下(家族提供)
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 中学生になった翔太は戸塚シニアで硬式球を握った。とはいえ10年後にドラフト1位指名される片りんは…まだない。それどころか当時はどこにでもいるような普通の選手だった。今年で指導歴27年目になる恩師・吉島良紀監督(67)は「入部した時は身長は大きかったけど、プレーではあまり目立った存在ではなかった。性格もおとなしかった」と当時を回想する。

 同チームは元DeNA・荒波翔や現阪神・豊田寛らを輩出した名門。主に三塁を守っていた翔太の当時の課題はメンタル面だった。「打てなかったり、凡打が続くと、下を向いて暗くなってベンチに帰ってくることが多かった。切り替えがうまくできる子ではなかった」と吉島監督。大事な試合で固め打ちを披露する一方、ピンチで決勝点につながる失策を犯すこともあった。

 2年生までは吉島監督から浴びる厳しい言葉に、悔し涙を流すことさえあった。それでもひたむきに努力を重ね、3年でレギュラーを奪取。当時、すでに身長は1メートル70台後半になっていた。体の成長に比例して打球の勢いも右肩上がり。その鋭いスイングスピードを生かして放った、周囲を驚かせた一撃があった。「あの打球は今でも鮮明に覚えている。とにかく、すごいホームランだった」。大ベテラン・吉島監督の目に、今も焼き付いて離れない一打だった。

 江戸川中央シニアとの全国大会予選決勝。両翼93メートルの相手チームグラウンドで行われた試合に「5番・三塁」で先発した翔太が生み出した打球は右中間へ消えた。弾丸ライナーでフェンスを越える、推定飛距離120メートルの特大弾。後に翔太の持ち味となる、逆方向への“人生1号”だった。「翔太の特徴はライナー性で外野の間を抜いていく強い打球。これを続けていけば、もしかしたら上のクラスでやっていけるかもしれないと思った」。百戦錬磨の恩師に、そう直感させた一撃が、潜在能力の高さを、まざまざと物語った。

 急成長を遂げつつあった翔太は当時、進学先で迷っていた。すでに県内の複数校からスカウトがある中、両親と熟考した末に決断を下した。袖を通したのは、熱心に誘ってくれていたタテジマのユニホームだった。(石崎 祥平)

 ◇森下 翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、神奈川県横浜市出身の22歳。小1で野球を始め日限山中では「戸塚シニア」でプレー。東海大相模では1年夏から中堅手としてベンチ入りし、3年春に選抜出場。中大では1年春、4年春にベストナイン。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

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2022年11月27日のニュース