松坂大輔氏「凄かったイチローさんの真剣勝負」 09年WBC以来の共闘は「60点」

[ 2022年11月4日 05:20 ]

<KOBE CHIBEN・高校野球女子選抜>2回、イチロー氏(左)が見守る中、軽快なフィールディングを見せる松坂氏(撮影・白鳥 佳樹)
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 【平成の怪物が行く 松坂大輔の探球 特別版】マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏(49)が率いる草野球チーム「KOBE CHIBEN」と「高校野球女子選抜」の試合が3日、東京ドームで行われた。スポニチ本紙評論家で初参加の松坂大輔氏(42)は「4番・遊撃」で出場し3安打1打点。昨年の対戦でも完投したイチロー氏は1失点で完投勝利を挙げた。2人が同じユニホームを着るのは09年WBC以来。1万6272人が酔いしれた試合の舞台裏などを松坂氏が語った。

 イチローさんが目の前で投げて、そのすぐ後ろを自分が守る。13年前のWBCとは逆になりました。不思議な感覚でしたが、凄くうれしかったです。何度かマウンドにも声を掛けに行きました。実は一度やってみたかったんです(笑い)。西武の時は松井稼頭央さんが後ろを守ってくれました。もちろん自分では難しいけれど、稼頭央さんのように後ろで守ることでイチローさんに安心感を与えたい。そう思いながらプレーをしていました。

 試合に備えた練習は自宅の周囲を走ったり、部屋で素振りをしたり…。室内練習場の予約が取れた時は友人にノックを打ってもらいました。試合前日もみっちり2時間。遊撃を守るのは中学生以来で、投げられるかなと心配でしたし、不安しかなかったですね。一方で凄いワクワクしている自分もいました。ミスもあったので自分の採点は60点です。

 初回の安打は一塁手の体に当たってしまって…。本当に申し訳なかったです。その“初安打”のボールはイチローさんが手渡してくれました。自分は西武でのプロ初安打や初本塁打、07年ワールドシリーズの安打の記念ボールなど、実は一個も持っていないんです。イチローさんにサインを書いていただいて、ぜひボストンの自宅に飾りたいと思います。

 真剣勝負。汗びっしょりで投げ続けるイチローさんの試合に懸ける情熱は凄かった。ピッチングに命を懸けているのでは、と思わされたほどです。8回無死満塁での併殺打もベンチで本当にショックを受けていました。対する女子野球の選手の皆さんは130キロ超の直球にも決して逃げず、強い気持ちで必死に食らいついていく。その熱量に、自分も全力プレーで応えないといけないと感じました。彼女たちにとっても記憶に残る一日になれば、と思います。

 自分が99年に西武でデビューしたのが、ここ東京ドーム。「KOBE CHIBEN」の一員でのデビューも同じ。不思議な縁を感じます。ちなみに東京ドームでのプレーはイチローさんと一緒だった09年WBCの韓国戦以来。来年もぜひ参加して、少しでもイチローさんの思いに対してお手伝いができれば、と強く思っています。自分としては、できる形で、これからの野球界を支える世代の子供たちのサポートをしていきたい。少しずつ動いていけたらいいなと考えています。

 《横浜高時代も4番》松坂氏は横浜高時代に連覇した98年春、夏の甲子園で通算47打数16安打、1本塁打、6打点で打率.340を記録。大会別では春が打率.300で3回戦、準々決勝でV打。夏は6試合中4試合で4番を任され打率.370をマークし2回戦で杉内俊哉(鹿児島実)から本塁打も打った。プロではNPB通算42打数7安打の打率.167、1本塁打、5打点だが西武時代の00年8月7日のオリックス戦では代打でプロ初打席初安打となる2点適時打。06年6月9日の甲子園での阪神戦ではプロ1号を放った。メジャーではレッドソックス時代の07年ワールドシリーズ第3戦で自ら2点適時打。勝利投手となって世界一に貢献した。

 《イチロー&松坂大輔の絆》☆自信から確信 99年5月16日の西武―オリックス戦(西武ドーム)で初対戦。新人の松坂が当時国内無敵のイチローから3打席連続三振を奪い「自信から確信に変わりました」と語った。

 ☆プロ100号 99年7月6日の同カード(GS神戸)でイチローが9回に中堅左へ通算100号本塁打を放ち「(松坂から)打った方が皆さんに喜ばれると思いまして」。

 ☆WBC連覇に貢献 06、09年WBCで同僚に。松坂は2大会連続でMVPとベストナインを獲得し、イチローは06年はベストナインに選出され、09年は決勝戦でV打。ともに2連覇の原動力になった。

 ☆許せ大輔 21年12月4日の松坂の引退セレモニーでイチロー氏が大型ビジョンで「なかなか言葉が見つからないよ。だから僕にはこんなやり方しかできません。許せ、大輔」とメッセージを送った後、サプライズで登場。花束を贈られた松坂は涙を流し、終了後、ロッカーに戻ると「KOBE CHIBEN」の背番号18のユニホームが置かれていた。

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2022年11月4日のニュース