松井秀喜を5敬遠した男、帝京平成大監督を辞任していた 河野和洋氏、トラブル起こし警察から事情聴取

[ 2022年10月6日 05:02 ]

92年夏の甲子園2回戦、5打席敬遠された星稜・松井(右)と明徳義塾・河野(左)
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 東都大学野球3部リーグの帝京平成大・河野和洋監督(47)が、9月30日付で大学を依願退職し、監督の座も退いたことが5日、分かった。9月中に何らかのトラブルを起こし、警察から事情聴取を受けていたという。大学側は「一身上の都合で退職したが、それ以上は話せることがない」としている。7日、日本学生野球協会の審査室会議を経て公表される見込み。

 河野氏は、明徳義塾(高知)の投手として出場した92年夏の甲子園で、星稜(石川)の松井秀喜(元巨人、ヤンキースなど)に対し、5打席連続で敬遠して話題となった。13年にはテレビ番組の企画で、現役引退後の松井氏と21年ぶりの1打席限りの対戦が実現。同じ四球に終わり「威圧感が増して怖くなっていました」と話していた。

 専大に進学後は外野手として活躍し社会人野球のヤマハや米独立リーグなどでもプレー。現役引退後の19年に当時、千葉県大学野球2部リーグに所属していた帝京平成大のコーチに就き、同年秋に監督に就任。今年から東都大学野球リーグに加盟すると、今春は4部での完全優勝に導き3部6位の成蹊大との入れ替え戦を制し今秋から3部に昇格を果たした。

 河野氏の後任は未定だが、コーチの村松伸哉氏(34)が有力視されている。

 《「松井秀喜のようなバッター育てたい」夢語るも》社会問題にまで発展した星稜・松井秀喜への5打席連続敬遠。河野氏はのちに「もし敬遠をしていなかったら、僕はごく普通の野球人生を歩んだだろうし…。でも逆に、こんなにいろんな人には出会えなかったでしょうね」と振り返った。

 明徳義塾卒業後は専大に進学。専大では元広島の黒田博樹が同期だった。社会人野球を経て米独立リーグへ。「いつか、松井と同じプロの舞台へ」。そんな思いを持ち続けた。

 クラブチーム「千葉熱血MAKING」では監督兼選手として41歳までプレーした。チャリティー活動も行い、兼任監督は「1円ももらっていない」とボランティア。16年の現役引退の際、恩師の明徳義塾・馬淵史郎監督にあいさつすると「お疲れさんだったなあ」と声をかけられたという。

 19年に帝京平成大のコーチに就任した後は「野球人として誰からも愛される、松井秀喜のようなホームランバッターをぜひ育てたい」と夢を語っていた。  

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