【内田雅也の追球】全員が真剣に楽しんだ「予祝」 矢野監督の思いは胴上げに浸透していた

[ 2022年2月24日 08:00 ]

朝からの雨に煙る宜野座村野球場
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 今から思えば、阪神監督・矢野燿大が進める「予祝」を初めて紹介したのは当欄だった。

 就任1年目、2019年2月5日、キャンプ最初の休日、球団と報道関係者との懇親会があった。乾杯の音頭に立った矢野は言った。「皆さんのおかげで2019年、優勝できました! 3、2、1、かんぱ~い!」

 優勝祝賀会のように、「優勝できました」と言った。あれは予祝だと思い、翌日、問いかけた。矢野は「そうです。予祝です」と答えた。「僕は言い切ってしまいたい。優勝したい、ではなく、優勝します。選手たちにも話していることです」

 7日付で<言葉が武器の「予祝」>として書いた。阪神の原稿で予祝という言葉が使われたのは初めてではなかったか。

 するとその後、矢野から思わぬ反響があったことを聞かされた。「内田さんに予祝を書いてもらったおかげで新しい出会いがありました。ありがとうございました」

 『前祝いの法則 予祝のススメ』の著書があるメンタルコーチ・大嶋啓介や作家・ひすいこたろうと連絡があり、面会することになったという。

 あれから3年。この日の沖縄・宜野座は朝から雨で予定していた練習試合は中止となった。1日キャプテンとなった西勇輝と糸井嘉男が練習開始前、掛け合い漫才のように「予祝」「胴上げ」に導いた。何と、矢野の胴上げを行ったのだった。

 印象的だったのは一歩間違えばお遊び、らんちき騒ぎとなる予祝を真剣に楽しんでいたことだ。冷笑するような者はいない。監督4年目、矢野の思いは浸透していた。

 野球はもともと楽しい遊びである。遊びだからこそ真剣になる。小さいころを思い浮かべたい。皆、野球少年だった。夢中で白球を投げ、打ち、駆けていた。そんな原点を思い返したい。

 今年1月、矢野は大嶋、ひすいとの共著『昨日の自分に負けない美学』(フォレスト出版)を出した。最後に矢野の言葉がある。<苦しく仕事をするより、楽しむ努力したほうが幸せだし、もうダメだとあきらめて過ごすより、チャンスととらえて挑戦したほうが、いい思い出をつくれます。そうして、最後にガッツポーズして終える人生にしていきたいですね>。

 春の花見や夏の盆踊りも秋の実りを前祝いする予祝である。監督最後の1年。風も吹けば雨も降るだろうが、見事な胴上げで秋の豊作を楽しみに待ちたい。 =敬称略=
 (編集委員)

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2022年2月24日のニュース