【内田雅也の追球】「千本ノック」の是非

[ 2021年2月6日 08:00 ]

“Deathノック”と題されたメニューで小幡にノックを放つ阪神・矢野監督(撮影・大森 寛明)
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 懐かしいと書けば語弊があるかもしれない。沖縄・宜野座の阪神キャンプで4日に行われた猛ノックである。受けた本数が木浪聖也449本、小幡竜平455本、合わせて904本と文字通り「千本ノック」だった。

 かつての長嶋茂雄や掛布雅之のように、息を切らし汗と泥にまみれていた。あの光景は昭和のキャンプ風物詩だった。

 近年は見られなくなっていた。前時代的で科学的に無意味だと批判の対象となっていた。それをあえて行ったわけだ。

 「古くさいかもしれませんが」と発案者のヘッドコーチ・井上一樹は批判も覚悟の上だった。インタビューが阪神球団配信『虎テレ』にあった。むろん3年連続リーグ最多失策の守備強化が目的だ。直接的に「死」を意味する「Deathノック」と名づけた。

 「技術面だけでカバーできるものではない。ヘロヘロになって“もう死んじゃうわ”というところまでやることで、千本受けたという、やり切った感、達成感が自信となる。気合で何とかできるんだという彼らの財産を残してあげたかった」

 「一球入魂」「千本ノック」の言葉を残した学生野球の父、早大初代監督の飛田穂洲が説いた精神修養の野球である。

 飛田は千本ノックについて「苦しくなれば楽な姿勢をとるようになる」と守備姿勢の矯正もあげていた。全国に広まった理論である。思えば長嶋は「下半身強化になる」、掛布は「打撃に生きる」と語っていた。

 しごきや誇張された敬礼一掃を訴えた慶大塾長の小泉信三も<猛練習は必要である。練習は不可能を可能にする>と『練習は不可能を可能にす』(慶應義塾大学出版会)にある。<けれども、なま易しいものではない。(中略)熟練の前には忍苦がなければならぬ>。

 うなずく自分がいる。高校球児の頃の経験から千本程度なら大丈夫だろうとも思っている。

 『理不尽に勝つ』という著書もある元ラグビー日本代表監督・平尾誠二は親交の深いノーベル賞学者・山中伸弥との対談で「理不尽さも必要だ」と語っている=『友情』(講談社)=。世の中は理不尽であふれている。「理不尽や不条理や矛盾を経験しないと、やっぱり人間は成長しないし、強くならない」「理不尽に臨んでいけるやつ、そのなかで生きていけるやつでないと、何をするにも絶対無理ですわ」

 深くうなずいた。

 =敬称略=

 (編集委員)

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2021年2月6日のニュース