【内田雅也の追球】幸運だけではない。

[ 2026年4月18日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―1中日 ( 2026年4月17日    甲子園 )

6回、佐藤輝は左中間への打球で二塁を蹴り激走する
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 森下翔太の決勝弾で競り勝った阪神にとって、6回裏の同点劇は幸運に恵まれていた。

 0―1のこの回先頭、佐藤輝明の一打は左中間へのライナー性飛球。左翼手が捕球体勢に入っていたが、中堅手が捕球しようと割って入り、衝突して白球がこぼれ落ちた。三塁打となった。

 この無死三塁で大山悠輔の左翼前への浅い飛球がポテンと落ちた。同点打となった。

 「野球で最高なのはインチキできないこと。世の中は運が通用する」

 映画『2番目のキス』で野球好きの数学教師がキャリアウーマンの彼女を初デートで野球観戦に誘って語る。「運がいい日はあっても、運だけの選手はいない」

 確かに、佐藤輝は追いつかれる飛球でも懸命に走っていた。VTRを見ながら手もとで計測すると、三塁到達は11秒84。全力疾走をしていないと出ないタイムだった。

 この日は1985(昭和60)年、伝説のバックスクリーン3連発の日である。優勝への機運が高まったわけだが、チーム内では前日の疾走にその兆候を感じ取っていた。

 0―2の4回裏2死一塁、佐野仙好の遊撃後方の飛球を河埜和正がグラブに当て落球した。一塁走者・岡田彰布(現オーナー付顧問)が長駆、本塁に還ったのだ。直後、打線爆発で7点をあげ、逆転勝利を飾った。当時監督の吉田義男は「岡田の走塁がポイントでしたな。ファインプレー違いますか」と語っていた。

 大山のテキサス安打も内角速球に負けずに振り抜いたから、間に落ちたのだ。相手二遊間は深く守っており、内野ゴロでも同点だったが、外野まで運ぼうとする強い姿勢が感じ取れた。

 野球部監督として都立高を渡り歩いた佐藤道輔が著した『甲子園の心を求めて』(報知新聞社)は「高校野球のバイブル」と呼ばれた。初版発行は1975(昭和50)年だった。佐藤には<テキサスヒットの哲学>があった。<天が努力に対して与えてくれた、あたたかな恩恵と裁きに相違ない>。今回も大山の日ごろの努力が隠れていたと信じたい。

 最後に。幸運な勝利の後だからこそ反省もできる。3回裏無死一塁、6回裏無死一、二塁での送りバント失敗(三振)である。犠打が決まっていれば、もっと楽に勝てていただろう。 =敬称略= (編集委員)

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