山本浩二氏、ナックルボーラー、ニークロ氏を偲ぶ 79年日米野球で日本選手唯一の本塁打放つ

[ 2020年12月28日 17:48 ]

<全日本・全米>2回1死、山本浩二はP・ニークロから左越えソロ =1979年11月14日、西宮球場
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 メジャー24年間で通算318勝を挙げ、1987年に48歳で引退した元ブレーブスのナックルボーラー、フィル・ニークロ氏がアトランタの自宅で死去した。79年の日米野球でニークロから唯一本塁打を放った「ミスター赤ヘル」こと山本浩二氏(74)が名投手を悼んだ。

 山本氏は「あのナックルボールを本塁打できたことは今でも鮮明に覚えている。西宮球場の第1戦だった。ナックルボールしか投げなかったが、そのボールを無心で目で追いかけた」と振り返った。

 全日本の6番として、2回に左翼席へ放った本塁打。「エンドランのサインが出て、低めに来た球を空振りした。信じられないような落ち方、さらに左右どちらに曲がるかも分からない球だった。高めに来たからたまたまホームランを打てた」。ニークロ本人と日米野球期間中に会話することはなかったが「日本の野球も捨てたもんじゃないという意識で戦った。私の良き思い出」と話した。13年の第3回WBCで侍ジャパン監督を務めた際、ミーティングでもニークロの話題を語り、選手の闘争心を高めた。

 「今はスピードとパワー全盛の時代だが、特長ある選手はいつの時代にも生きる。そう信じている」と締めくくった。

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