横浜高08年主将・小川健太氏 「こういう生き物もいるんだ」一学年後輩の筒香に衝撃

[ 2020年12月27日 11:00 ]

インタビューに答える一般社団法人日本未来スポーツ振興協会の小川代表
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 一般社団法人日本未来スポーツ振興協会を主宰する小川健太氏(30)が、主将を務めた横浜時代の後輩・筒香嘉智(レイズ)やライバルでもあった大阪桐蔭の浅村栄人(楽天)、明大時代の同僚たちの思い出を振り返る。愛工大名電の元主将で、小川氏と明大で同期だったスポーツニッポン新聞社の齋木駿メディア編集部員(30)によるインタビュー第2回。(全3回)

 齋木 愛工大名電は毎年秋、横浜、東海大相模と練習試合するために神奈川遠征するんだけど、それが嫌だった。

 小川 こっちも嫌だった。名電は強いから。

 齋木 いやいや。あの頃は横浜には小川や1学年下には筒香がいて、相模には大田(泰示=日本ハム)がいた。両校とも本当に強かった。横浜のグラウンドで試合するとき、普通は主将同士がじゃんけんして先攻後攻を決めるけど、小川にあいさつに行ったら「ウチのグラウンドなんだから当然後攻でしょ」みたいに言われ、これが名門の洗礼か、みたいな。

 小川 確かにそんな感じだった(笑い)。まあ、練習試合でもみっともないプレーしたら、その後の練習が恐ろしいから。気を張ってたよね。

 齋木 筒香が入学したときはどうだった?

 小川 スイッチヒッターとして入ってきたんだけど、右打席のフリー打撃でボカンボカン飛ばすんだ。凄えヤツが入ってきたな、と思っていたら小倉コーチ(清一郎=元野球部長)が「右打ちはやめて左に専念しろ」と。右手の押し込みが強すぎて、右打席の打球はドライブがかかってしまうというのが理由だった。

 齋木 なるほど。左打席の打球の方が回転がきれいにかかる。そのアドバイスがなかったら今とは違った打者になっていたかもね。

 小川 筒香は足も速かったし、握力も異常だった。まあ、こういう生き物もいるんだ、という感じ(笑い)。高校時代、誰が一番凄いと思った?

 齋木 西(勇輝=阪神)は同じ三重県出身で小学生から知ってるし、小川(泰弘=ヤクルトFA中)、福谷(浩司=中日)とは高校の愛知選抜でプレーしたけど、対戦した投手では東海大相模の大城(昌士=東海大―西部ガス)かな。スライダーが視界から消えたからね。打者なら同じ東海大相模の大田(泰示=現日本ハム)。小川は?

 小川 沖縄尚学の東浜(巨=現ソフトバンク)の球は本当にエグかった。インコースの150キロにはバットが出なかった。あとは大阪桐蔭の浅村。打撃より、肝が据わった性格の方だけどね。「こういうヤツがプロまで行くんだろうな」と思ったよ。

 齋木 大学では?

 小川 明大で1年先輩だった島内さん(宏明=楽天)。

 齋木 分かる。あの人は凄い。自分で自分のスイングが速すぎてケガしたのは島内さんくらい。

 小川 人と違うというか、練習でも背中の辺りを鍛えながら「ここが強くなると打球が飛ぶんだよ」とか、理論はよく分からないんだけど、実際に打席では誰よりも凄い打球を飛ばす。

 齋木 しかもまだ成長していると感じる。今やプロで4番を張る打者だからね。

 小川 誰も予想出来ないことをするのが島内さんなんだよね。

 齋木 愛工大名電の主将は監督の指名なんだけど、横浜はどうだった?

 小川 監督、コーチの投票だった。名電は?

 齋木 3年生の退寮式であいさつ役に指名されたら新主将ということ。名電はほぼレギュラーが務める。

 小川 僕のときは3学年で110人くらいいたんだけど、みんなの前での発表だった。松坂さん(大輔=西武)の代の甲子園春夏連覇から10周年の節目の年で注目されていたし、本当に大役だった。(第3回に続く)

 ◆小川 健太(おがわ・けんた)神奈川県横浜市出身。中本牧シニアで全国優勝。横浜高では1年秋から右翼でレギュラーとなり、2年秋の神宮大会で主将として準優勝。3年夏の甲子園では浅村を擁する大阪桐蔭に敗れるも4強。明大を経て、九州三菱自動車では都市対抗野球、日本選手権に出場。強肩強打の外野手としてプロ球団も注目していた。現在は一般社団法人日本未来スポーツ振興協会代表。

 ◆齋木 駿(さいき・しゅん)三重県四日市市出身。ボーイズリーグの四日市トップエースで全国大会出場。愛工大名電2年時に夏の甲子園出場。同年、小川泰弘(ヤクルト)、福谷浩司(中日)、中川大志(元楽天など)らと愛知選抜入りし主将を務めた。明大を経て、スポーツニッポン新聞社入社。整理部を経て、現在はデジタル編集部。

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