【阪神新人連載】石井大 高専では野球をやらないはずが…中学時代のライバルのプロ入りで再燃した夢

[ 2020年12月27日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 8位・石井大智投手(上)

全日本学童軟式野球大会で力投する小学時代の石井大智(提供写真)
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 2011年3月11日に発生した東日本大震災は甚大な被害をもたらした。当時中学1年で学校にいた大智も「めまいがしたのかと思いました」と激しい揺れに襲われた。秋田市内の自宅は停電こそしたが、損壊は免れた。ただ、テレビに映し出される同じ東北地方の各所の悲惨な光景の数々に衝撃を受けた。

 秋田高専への進学は、この大震災が関係していた。建築関係の仕事をしていた叔父がいたことから、もともと建築に興味を持っていたが、未曽有の災害を間近に感じたことで、災害に強い街づくりや家づくりをしたい思いが強くなった。高校では環境都市工学科に在籍。コンクリート工学や構造力学などを学び、当初の志を遂げるべく、基礎を学んだ。

 秋田東中では軟式野球部に所属していたが、高校で野球を続けるつもりはなかった。入学時は身長1メートル54、体重45キロでクラスでも2番目に小さく「高校野球をできるレベルではなかった」といい、得意としたバドミントン部への入部を考えていたという。しかし、小学時代を知る同級生から声を掛けられ野球部の練習会に参加。誘われるまま入部してしまった。

 秋田高専の白根弘也監督は「授業を受けるときは真面目な学生。ユニホームを着ると、自分を追い込むストイックな選手。野球になるとかなり積極的というか我を出しながらやっていた」と当時を振り返る。中学3年時は野手だったが、高校では投手に再挑戦。トレーニングや食事で体を大きくすることにも取り組んだ。1メートル75、75キロまで成長しエースとして臨んだ3年夏の秋田大会は1回戦で完封勝利。2回戦で敗れたが完全燃焼した……はずだった。

 ところが、3カ月後に大きな転機が訪れた。中学時代にエースの座を争い、秋田商のエースとして甲子園で活躍した成田翔がロッテからドラフト3位指名されると「勝手に悔しいなと思った」と再びライバル心に火が付き、小学校の卒業文集に記した「プロ野球選手」の夢も再燃。4年以降は規定で公式戦出場はできないが、後輩の練習を手伝いながら練習に励み、練習試合で実戦経験を積んだ。

 卒業後の進路の方向性を決める4年の秋。「(成田)翔の影響でプロを目指すとなり、どうしたら一年でも早くプロに行けるか」。白根監督にも相談し、導き出した“答え”は独立リーグへの挑戦だった。 (須田 麻祐子)

 ◆石井 大智(いしい・だいち)1997年7月29日生まれ、秋田県秋田市出身の23歳。小3から旭川スポーツ少年団で野球を始める。秋田東中では軟式野球部に所属。秋田高専では2年秋からエースも3年夏は秋田大会2回戦敗退で甲子園出場なし。四国・高知で18年から3年間プレー。最速153キロ。1メートル75、81キロ。右投げ右打ち。

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