早大・小宮山監督秋春連覇へ「一球入魂」 飛田初代監督の母校・水戸一で指導 教え再確認

[ 2020年12月14日 05:30 ]

水戸一を訪問し、飛田穂洲像に礼をする早大・小宮山監督
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 今秋の東京六大学リーグを制した早大の小宮山悟監督が13日、水戸一で指導した。「学生野球の父」と呼ばれる早大の飛田穂洲(すいしゅう)初代監督、小宮山監督の早大選手時代の恩師である石井蓮蔵元監督の母校。飛田穂洲像に深く一礼した後、練習場に足を踏み入れた。

 「早大野球部にとって大事な学校。身の引き締まる思い。毎年、飛田先生の墓参りをしており、感慨深い」

 17人の部員に約3時間指導。ブルペンではロッテなどでプロ通算117勝を挙げた小宮山監督の目が光った。エース右腕の石井陽向(ひゅうが=2年)らに助言。直球が外角低めに決まると、「そこに100球投げられれば勝てる」と笑った。

 小宮山監督の早大コーチ時代の教え子で、水戸一OBの高橋直樹氏が8月に同校のコーチに就任したのが指導のきっかけ。飛田監督の教え「一球入魂」を再確認し「心を洗われた。(早大の選手に)高校球児のひたむきさをもう一度思い出せ、と伝えようと思う」と秋春連覇へ決意を新たにした。(柳内 遼平)

 ▼飛田 穂洲(とびた・すいしゅう)1886年(明19)12月1日生まれ、茨城県東茨城郡(現水戸市)出身。本名は飛田忠順(ちゅうじゅん)。水戸中(現水戸一)を経て早大に進み、二塁手として活躍。1919~25年に早大の初代監督を務め、黄金期を築いた。退任後は新聞記者として活躍。中等野球(現在の高校野球)、大学野球での精神的鍛錬の大切さなどを説いて普及と発展に貢献し「学生野球の父」と呼ばれた。60年に特別表彰で野球殿堂入り。65年1月26日没。享年78。

 ≪1891年創部伝統校 エース石井歓喜≫1891年創部の水戸一は3度の甲子園出場を誇るが、最後の出場が54年夏。来年度から中高一貫校となり、再来年度は現状の8クラスから6クラスに減少する予定だ。今秋は県大会の1回戦で敗退。エースで最速138キロのサイド右腕・石井は、小宮山監督に変化球を前でリリースするよう教えられ「課題だった変化球に良いアドバイスをもらえました」と喜んだ。

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