【夢のご当地オールスター・中国編】闘将・星野監督率いる桃太郎軍団

[ 2020年5月12日 05:30 ]

2003年、歓喜の胴上げで宙を舞う阪神タイガースの星野仙一監督
Photo By スポニチ

 すでに取り上げた広島を除く中国地方でドリームチームを編成してみた。岡山、鳥取、島根、山口出身のプロ野球選手をリストアップすると、投手の宝庫であることに気づかされる。

 プロ野球歴代2位の350勝投手・米田哲也(境)をはじめ、岡山からは平松政次(岡山東商)、星野仙一(倉敷商)、秋山登(岡山東)、松岡弘(倉敷商)。鳥取からは江川とのトレードで猛虎党を熱くさせた小林繁(由良育英)。島根は大野豊(出雲商)、現広島監督の佐々岡真司(浜田商)、和田毅(浜田)。山口からは池永正明(下関商)、完全試合第1号の巨人・藤本英雄(下関商)と各球団の歴代エースが顔をそろえた。抑えには津田恒実(南陽工)がいて、万全だ。

 チームを束ねる監督は、星野仙一で決まりだ。「闘将」「鉄拳」のイメージが強いが、中日、阪神、楽天でリーグ優勝を果たした手腕は光る。異なる3球団でリーグ優勝をした監督は歴代でも三原脩(巨人、西鉄、大洋)、西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)と史上3人しかいない。

 阪神では「勝ちたいんや」のスローガンの下、選手だけでなく、フロント、本社の意識も変え、03年のリーグ優勝に導いた。9月15日の広島戦(甲子園)でサヨナラ安打を放った赤星憲広を抱きしめて、出迎えたシーンは阪神の名場面のひとつだ。

 星野監督以下、エースは勝ち星最多の米田。プロ野球歴代2位の949試合に登板し、通算先発626登板は日本記録。ガソリンタンクと呼ばれたタフな右腕だった。捕手は近鉄の西本門下生の梨田昌孝(浜田)。コロナウイルスとの闘いを克服した姿を、グラウンドで待ちたい。

 DHに入った藤井勇(鳥取中)はタイガースの初代メンバー。職業野球がスタートした36年5月、セネタース戦で左中間にランニング本塁打。これが日本プロ野球第1号として記録に残っている。戦後は阪神の打撃コーチとして田淵幸一も指導した。三宅秀史(南海)は阪神の名三塁手。吉田義男との三遊間コンビで、62、64年のリーグ優勝に貢献している。

 92年に八木裕(岡山東商)の一打が幻となっていなかったら、阪神の歴史は変わっていた。9月11日のヤクルトとの首位攻防戦で、9回2死一塁からの打球は左中間フェンス下部のラバークッションに当たってスタンドに入った。一度は本塁打と判定されたが、野村克也監督の抗議で「エンタイトル二塁打」に判定は覆った。試合時間6時間26分(うち中断37分)は日本プロ野球史上最長試合だ。同郷の大杉勝男(関西)も78年の阪急との日本シリーズ第7戦の本塁打を巡り、上田利治監督の1時間19分に及ぶ抗議の引き金になった打者だ。

 伝説いっぱいのドリームチーム。星野監督とともに、スマイルシンデレラ渋野日向子(作陽)にもサポーターでベンチ入りしていただこう。(鈴木 光)  

続きを表示

この記事のフォト

2020年5月12日のニュース