ロッテ・朗希 被災者として3.11語り継ぐ…「今、あることが当たり前じゃない」

[ 2020年3月12日 05:30 ]

<ロ・日>試合前、黙とうする佐々木朗(中)らロッテナイン(撮影・西海健太郎)
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 今、あることが当たり前じゃない――。2011年3月11日に起きた東日本大震災から9年。9歳の時に故郷・岩手県陸前高田市で被災したロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18=大船渡)が11日、父・功太さん(享年37)ら家族を失った悲しみと復興への思いを新たにした。プロ野球選手として初めて迎えた3・11。風化させないためにも、自らの言葉で発信していくことを誓った。

 癒えない傷が刻まれた。9年前のあの日は決して佐々木朗の心から消えることはない。永遠に被災者として迎える3・11。それでも未来ある18歳の見せた前向きさは、せめてもの救いだった。
 「今、あることが当たり前じゃないということを思った。たくさんのものを失って改めて気づいたことがたくさんある。これから後悔しないようにして生きたい」

 岩手県陸前高田市出身。野球を始めた高田小3年の時、学校で東日本大震災に遭った。迫り来る津波から必死に高台まで避難した。自身の命はつないだものの、父・功太さん、祖父母、そして自宅は津波が奪った。全てを失い、避難所での生活も味わった。翌年、母方の親族のいる大船渡市に引っ越した。9歳の少年にとって、あまりにも過酷に、残酷に人生が一変した。

 功太さんは生前、野球を始めたばかりの朗希少年の投球を受け「朗希は凄いよ。将来はプロになれると思うよ」と将来の成功を確信していた。父の期待に応えるように、高校生史上最速の163キロを投げ「令和の怪物」と呼ばれるまでになった。その父、祖父母ら大切な人々への思いは尽きない。「今あるものが一瞬でなくなってしまう。今、生きている身として、そういう人の分も一生懸命生きていかないといけないと思う」。失った最愛の家族とここまで育ててくれた母へ。「活躍しているところを見せたいです」。天国に届くほどの活躍まで、絶対に佐々木朗の心は折れないはずだ。

 父の言葉通りにプロ野球選手になって迎えた9度目の3・11。「今、こうやってプロ野球選手として初めて迎えた日。立場が変わってまたこれからいろいろ発信していかないといけないなという思いです」。被災者として持つ心の傷。その痛みがあるからこそ、佐々木朗の言葉とプレーは、復興を目指す全ての人々の背中を押す、力になる。(春川 英樹)

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