野球は「間」のスポーツ…味気ない“申告制”敬遠

[ 2017年2月21日 09:30 ]

1971年6月17日の広島戦の7回2死三塁、広島・井上の敬遠で「さあ、来い!」と0―3のカウントからバットを持たずに打席に立つ巨人・長嶋
Photo By スポニチ

 MLBが選手会に、「敬遠は投手が4球投げなくても意思を示すだけでOK」とのルール変更を申し入れた。試合時間短縮へ今季から導入を目指すとのこと。日本球界でも、来季以降に導入の論議が持ち上がるだろうか。単純に言えば、味気ない。敬遠は機械のように、単に4球投げるだけの行為ではないからだ。

 ☆阪神・新庄の敬遠打ち 99年6月12日の巨人戦(甲子園)。延長12回1死一、三塁で、新庄剛志が槙原寛己の外角球に踏み込んで左前にサヨナラ打。野村克也監督も「届いたら打っていいかって言うから“いけいけ”って言うたんや」と話したミラクル打だった。

 実はこのシーン、甲子園の記者席で目撃した。驚きのあまり思わず「ぎゃあ!」と叫んだ。三塁ベンチで悔しがった長嶋茂雄監督、そして阪神側でニンマリの柏原純一打撃コーチともに、過去に敬遠球を打ったことがある経験者なのも面白い。

 ☆巨人・長嶋は敬遠が嫌い? 60年7月17日の大洋戦(川崎)。5回2死二塁で、鈴木隆の敬遠球を強引に振り抜いた。左越えのランニング本塁打。「少々高くても引っぱたいてやれ、と。やや高めの…。あれ、ボールですか?」とは試合後の弁だ。いやいや、当時の映像を見ても完全なボール球ですよ。ミスター。

 「長嶋伝説」はまだある。68年5月11日の中日戦(中日)。2回の第2打席で敬遠されると、途中からバットを持たずに素手で打席に立ったのだ。敬遠が嫌いだったという、燃える男の無言の抗議。いやあ、かっこいいです。ミスター。

 前出の柏原は日本ハム時代の81年7月19日の西武戦(平和台)の6回、2死三塁で永射保の敬遠球を飛びつくように打って左中間へ2ラン。巨人・クロマティも90年6月2日の広島戦(東京ドーム)の9回、2死二塁から金石昭人のウエストボールを右中間に運ぶサヨナラ打を放った。

 打者だけではない。国鉄・金田正一や阪神・小林繁は敬遠球が暴投となりサヨナラ負け。巨人・上原浩治は松井秀喜と本塁のタイトルを争うヤクルト・ペタジーニへの敬遠を指示され、マウンド上で悔し涙を流した。たかが敬遠、されど敬遠。たった4球が、様々なドラマを生み出してきた。

 野球は「間」のスポーツだ。1球を投げるごとに選手、そして両軍ベンチは心理戦を展開し、見ているファンも想像力を膨らませる。その時間こそが心地いい。敬遠の4球もそう。時短の波にドラマが飲み込まれてしまっては、やはり寂しい。(記者コラム・鈴木 勝巳)

続きを表示

2017年2月21日のニュース