宮原4連覇!五輪代表決定 圧巻の表現力…SP2位から逆転V

[ 2017年12月24日 05:30 ]

フィギュアスケート全日本選手権第3日兼平昌冬季五輪代表最終選考会 ( 2017年12月23日    東京都調布市・武蔵野の森総合スポーツプラザ )

これぞミスパーフェクト!演技を終えてガッツポーズの宮原
Photo By スポニチ

 女子フリーで、ショートプログラム(SP)2位の宮原知子(19=関大)が147・16点を出し、大会史上最高の合計220・39点で逆転4連覇を達成。日本スケート連盟の選考基準を満たして、来年2月の平昌冬季五輪代表を決めた。4連覇は2006〜09年の浅田真央以来となった。年齢制限で平昌五輪に出られない紀平梨花(15=関大KFSC)が、3位に食い込んだ。

 よくぞ、ここまで――。宮原の苦難を知る浜田美栄コーチは感極まった。一番苦しんだ本人は両手を上げてガッツポーズだ。最後から3番目の登場で、大会最高の合計220・39点。最終滑走の坂本を上回り、逆転で4連覇を達成した。

 「せっかく頑張ってきたのに、SPでいいジャンプができなくて…。フリーでやるしかないと思った。本当にベストか分からないけど、今日の自分は出し切れたと思う」

 連続3回転ジャンプのルッツ―トーループのルッツで回転不足を取られた分は、磨いた表現力でカバーした。昨年の大会で優勝後、左股関節の疲労骨折が発覚。10カ月間、実戦から離れた。「全日本で復活するために頑張ってきた」。有言実行の栄冠だ。

 故障と闘った間は、体重との闘いでもあった。骨が弱い宮原に求められたのは、36キロの体重を44キロまで増やすことだった。しかし、簡単には増えない。個人トレーナーの出水慎一さんには忘れられない一言がある。お菓子を勧めた時に「おやつっていつ食べればいいんですか」と返された。見栄えとジャンプに影響することを考慮して、間食を取る習慣さえなかったのだ。

 毎日、朝、昼、晩の三食を写真に撮り、専門家に画像を送って栄養指導を受けた。母・裕子さんは「普段と違ってスケートは真面目」と娘の取り組みに感嘆する。コツコツ努力する姿勢は、トレーニングも同じ。8月からの1カ月間。全身を鍛えるメニューは、1日58種類、7時間に及んだ。腹筋だけで数種類あって1日計1000回。体は確実に強くなった。11月の実戦復帰から7週間で4戦をこなす過密日程をはね返した。

 「スケート人生で一番、中身の詰まった一年だったと思う」

 氷上の外で過ごした日々は、今では誇り。エースとして臨む五輪は「本当に目標にしていた舞台。ワクワクする」と日本人女子4人目のメダルに挑む。困難を乗り越えた今、世界の強豪にもひるまない。

 ◆宮原 知子(みやはら・さとこ)1998年(平10)3月26日生まれの19歳。京都府出身。医者の両親の仕事の関係で、米国テキサス州に住んでいた5歳頃にスケートを始める。関大中、関大高を経て、現在は五輪に集中するため関大を休学中。12年全日本選手権で3位。14年ソチ五輪代表入りを逃したが、15年世界選手権、15、16年グランプリ(GP)ファイナルで銀メダル。本田真凜、紀平梨花らと同じ浜田美栄コーチに師事。趣味は料理。1メートル52、40キロ。

続きを表示

この記事のフォト

2017年12月24日のニュース