高安 連敗、右肘痛め…苦い大関昇進「勝って終わる」果たせず

[ 2017年5月29日 05:30 ]

大相撲夏場所千秋楽 ( 2017年5月28日    両国国技館 )

照ノ富士に小手投げで敗れ右手を押さえる高安(下)
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 関脇・高安(27=田子ノ浦部屋)の大関昇進が事実上決まった。大関・照ノ富士(25=伊勢ケ浜部屋)に小手投げで敗れ、14日目に続いて2連敗。それでも3場所合計34勝の成績などが評価され、審判部の二所ノ関部長(元大関・若嶋津)が昇進を諮る臨時理事会を31日に開催するよう八角理事長(元横綱・北勝海)に要請し、了承された。38度目の優勝を決めていた横綱・白鵬(32=宮城野部屋)は横綱・日馬富士(33=伊勢ケ浜部屋)を下し、自身の史上最多記録を更新する13度目の全勝優勝を果たした。

 負け残りの土俵下で高安は眉間にしわを寄せていた。最近は5連勝していた照ノ富士の左小手投げに屈して11勝止まり。支度部屋ではまげを直した後に痛めた右肘を氷で冷やし、報道陣の質問には無言を貫いた。三賞力士の記念撮影を終えると落ち着きを取り戻し、口を開いた。

 「いいところがなかった。悪い癖が出た」。13日目に日馬富士を破って3場所合計34勝としたが、そこから勝てなかった。残り2日間で連敗しての昇進は94年初場所後の武蔵丸以来。表情がさえないのも仕方なかった。

 それでも審判部の評価は変わらない。成績もさることながら、突き、押しの力強さも評価の対象となった。中学卒業後すぐに入門した「叩き上げ」での昇進は兄弟子の稀勢の里以来だ。臨時理事会の開催が決まったことを聞かされると「素直に喜びたい」と話した。

 05年春に初土俵。12年の相撲人生を振り返り「入門した時は(大関昇進など)想像できなかった。信じられない気持ちが強い」と感慨に浸った。三段目に上がるまで丸2年を要した。ここまで頑張ってこられたのは「結果を出すことでたくさんの方が喜んでくれる。それを励みにしてきた」から。先代師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)からは10年秋場所後の新十両昇進の際に「三役以上になれる」と言葉を掛けられた。それは今でも脳裏に焼き付いている。厳しい稽古で鍛えられたことももちろん礎になっている。隆の里は初土俵から所要82場所で史上2位のスロー昇進だったが、高安は所要73場所の史上9位のスロー記録となった。

 初の大関獲りだった昨年九州場所は7勝8敗と負け越した。直後の今年初場所では稀勢の里が初優勝を飾り横綱に昇進。「ここ数場所は本当に刺激を受け、それが僕の原動力と発奮材料になった」というように兄弟子の存在も大きかった。

 場所前には全勝優勝を目標に掲げるなど、向上心は強い。この日は「いつか稀勢の里関に肩を並べたい」と言い切った。大関という夢をかなえても、高安のサクセスストーリーには続きがある。

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