羽賀 初出場で金!派遣見送り…屈辱バネに花形階級で大仕事

[ 2015年8月30日 05:30 ]

男子100キロ級決勝、ドイツのフレイと組み合う羽賀(AP)

世界柔道第6日 

(8月29日 カザフスタン・アスタナ)
 男子100キロ級に希望の光がともった。初出場の羽賀龍之介(24=旭化成)が決勝でカールリヒャルト・フレイ(ドイツ)を指導1の差で破って初優勝を果たした。世界選手権はかつて井上康生が3連覇するなど活躍した花形階級。近年の日本勢は低迷していたが、羽賀が得意の内股を武器に今大会の日本男子3個目の金メダルをもたらした。男子100キロ超級では七戸龍(26=九州電力)が2年連続の銀メダル。女子78キロ超級では田知本愛(26=ALSOK)が銀メダル、山部佳苗(24=ミキハウス)が銅メダルとなった。

 内股、内股、また内股。得意技を何度繰り出しても体が拒否反応を示すことはなかった。決勝戦でも昨年3位のフレイに、内股を軸に試合を支配。相手を浮かせるほどの威力を誇示して金メダルをもぎ取った。優勝の実感が湧くとともに羽賀は「これで全てが報われる」と感涙にむせんだ。

 父の善夫さんは87年に講道館杯95キロ級を制した柔道家。「子供の頃は1日の練習がそれだけで終わることもあった」という善夫さんとの打ち込みによって父の得意技は羽賀に受け継がれた。

 東海大相模高1年時には金鷲旗大会で史上初の20人抜きの記録を打ち立て、世界ジュニアも制した。しかし、東海大入学後の12年夏、脱臼を繰り返していた左肩関節の手術に踏み切ってから低迷が待っていた。「手術直後ははしも持てないし、手の感覚が一切なかった。もう終わったと思った」

 練習再開まで9カ月。そこからも苦しい道のりだった。「可動域は復活していたけど、何度も脱臼していた怖さでイップスになった」。技を出そうとすると体がこわばる。踏み込みたくても体が勝手に引いてしまう。「その感覚が抜けるのに凄い時間がかかった」。必殺の内股もさびついた。

 羽賀の低迷と歩調を合わせるように、日本の100キロ級も沈んでいった。井上康生、鈴木桂治、穴井隆将といった名選手を輩出してきた花形階級だが、昨年大会はメダルが期待できないとして異例の派遣見送り。羽賀も「いろいろな人に言われた。自分もどん底を見た」。昨年12月のグランドスラム東京でも男女14階級で唯一のメダルなし。一時は日本勢のリオ五輪出場枠獲得すら危ぶまれる危機的状況だった。

 しかし、100キロ級だけの特別合宿や国際大会への積極派遣などが実り、今年になって潮目が変わった。羽賀は2月の欧州遠征で2大会連続優勝。初めての世界選手権代表を勝ち取り、本番でも大仕事をやってのけた。手術から3年。「左肩の強さは昔より上がっている」と不安は消えた。思う存分に内股も繰り出し「内股を警戒される中でも勝てたのは自信になる」という金メダル。全日本男子監督の系譜を受け継ぐエース候補は「やっと金メダルを獲りますと言える」と来年のリオ五輪をにらんだ。

 ◆羽賀 龍之介(はが・りゅうのすけ)1991年(平3)4月28日生まれ。宮崎県出身の24歳。神奈川・東海大相模高3年で個人、団体の2冠。10年世界ジュニア選手権、11年ユニバーシアード優勝。今年は欧州オープン、グランプリ大会(ドイツ)を制した。世界ランキング25位。得意は内股。東海大出、旭化成。1メートル86。

 ▼全日本男子・井上康生監督 羽賀は持ち味の攻撃柔道に加え、我慢も光った。この経験が来年への大きな力になる。七戸の敗戦は悔しさしか残らない。リネールの壁は厚いが、彼を倒せるのは日本人しかいないと感じた。

 ▼鈴木桂治コーチ 羽賀は精神的に強かった。100キロ級代表の自覚に成長を感じた。技は素晴らしいものを持っている。

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