「相撲に対する悔いは一切ありません」

[ 2010年2月5日 06:00 ]

会見中に涙をこらえる朝青龍

 ◆朝青龍一問一答

 ――横綱、今の心境は?
 何も考えておりません。大勢の方々を騒がし、横綱というものに対する思いは深いし、そういう意味では責任感じてここに座っているわけです。
 ――決意したのはいつ?
 師匠との話し合いの上で、引退することを考え始めました。
 ――どういう話し合いだった?
 (事件が)あるのかないのか、殴ったのか殴ってないのか、ということに対して思いを伝えた。
 ――きょう来るとき引退という気持ちはあったか?
 まあ正直、場所後の休みから精神状態はどうなるんだろうと思ってました。実はメディアで流れたことと実際に起こしたことはかなり大きな違いがありまして、まあ最後まで様子を見ましょうという中で待っておりました。最後は僕1人の信念で引退ということを考え、その前に理事の親方たちの前に自信をもって、その責任(引退)に関してお伝えした。
 ――やめる決断をした時の気持ちは。
 まあ、いつかこういうときも来るかなということもありましたし、まあこれは自分にとって本当にけじめなんでね。
 ――こういう形で土俵を去らなければいけない心境は。
 まあ、それは自分にとっての運命じゃないかと思っています。
 ――横綱になって品格を生かせなかったという思いはありますか。
 そうですね、皆さま方が品格、品格と言うんですけども、正直な気持ちは土俵に上がれば鬼になる…そういう気持ちで上がるし、やっぱりそこで精いっぱい相撲を取らなくちゃならない気持ちはあったと思う。今までにない人なんで、皆さまにいろいろ迷惑掛けたと思う。
 ――強い横綱でいようという気持ちだった。
 そうですね。25回も優勝を果たしたし、これからは元朝青龍という呼び方になるんですけれども、まあ相撲に対する悔いは一切ありません。まだ頭の中では整理がきちんとできておりません。
 ――日本の相撲界はどんなところでしたか。
 ある高校相撲で3位になりまして、親方からの電話が相撲界の始まりでありますし、いろんな意味で大変お世話になりました。お相撲さんになってちょんまげ結ってといろんなことを思い出せば…最高の思い出。
 ――横綱にとって高砂親方はどんな師匠だった。
 ほんとにここ10数年、親代わりであり感謝している。それに女将さんも。また若い衆にも感謝している。
 ――横綱になってからの一番の思い出は。
 いろいろあったが、今のところはこれだというのはありません。でも考えてみれば、平成16年の名古屋場所での琴ノ若戦で物言いがつきながら勝った、その時親方が“これが一番”と言ってくれたのがやっぱり一番だったのかなと今では思う。

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2010年2月5日のニュース