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【だから元気!】三遊亭小遊三 負けても楽しい卓球人生 中学生の頃からプレー、今は体調のバロメーター

[ 2021年7月23日 05:30 ]

卓球が体調のバロメーターだと語る三遊亭小遊三(撮影・森沢裕)
Photo By スポニチ

 著名人に健康や元気の秘けつを語ってもらう企画「だから元気!」。今回は落語家の三遊亭小遊三さん(74)。1988年からレギュラー出演している日本テレビ「笑点」で見せる色男キャラでも人気を得ています。長年落語界の第一線で活躍できる体を維持できている理由は中学生の頃からプレーしている卓球です。(構成・糸賀 日向子)

 卓球は僕の人生を語る上では欠かせないもの。最近はコロナ禍でなかなかできてないけど、以前は毎週月曜日にやっていた。40代とか50代の頃は1日6時間もやっていた時もあったね。

 幼い頃から縁があって、物心が付いた時にはもうラケットを握っていた。兄と姉が卓球部だったから、家にあったんだろうね。

 本当はプロ野球選手になりたかったんだけど、ガキ大将から「なに生意気言ってんだ。なれるわけないだろう」って言われて、卓球を選んだ。当時のガキ大将は地域ですごい力を持っていてね。言うことを聞かないとお祭りのみこしにも触らせてもらえなくなっちゃうからね(笑い)。それに、当時日本代表が強かったこともあって花形だったし、身近だったから中学から卓球部に入って本格的に始めたんだよ。今では健康維持のためにやっているからありがたい趣味になった。

 中3では、山梨県で個人でも団体でも準優勝した。その後、高校でも続けて卓球の練習に打ち込んだ。高校3年生の時に国体の山梨県代表には選ばれたりしたよ。明治大学に進学後、家族からは「ちゃんと勉強しろ」って言われていたけど、やっぱり卓球部に入部した。でも大学じゃほとんど通用しなくて、大学2年のときに山梨県の大会に出て優勝して、そこで区切りを付けたね。今思えば、学生時代は真剣に取り組んだね。

 その後、大学紛争でキャンパスに入れず、新宿でふらりと寄席に入ったのがきっかけで落語に夢中になった。落語家になってしばらく卓球はやってなかったけど、林家こん平師匠から「らくご卓球クラブをつくるから手伝ってくれ」と言われて、久しぶりにラケットを握った。40歳の頃だった。

 やってみると、何よりも足が重いとか、息切れするのが早いとか、そんなことに気付く。卓球がいいバロメーターになっているんだよね。と言っても体調管理にもそんなに神経は使ってないんだけど。

 こん平師匠とは世界ベテラン卓球選手権にも出場した。試合もやったけど、思い出はお酒を飲みに行ったことばかり。こん平さんはお酒を飲みに行く方がメインだったんじゃないかな(笑い)。そういう思い出がたくさんあるから“負けたり負けたりの卓球人生”だけど楽しいよ。

 「つらい思いはしない」という僕のモットー通り、いい具合に卓球と向き合えている。だって無理したらぐったりしちゃうから、楽しみながら適度に体を動かすのが僕に合っている。これが長く続けられる秘けつなのかもしれない。自分のペースでやることが健康にいいんじゃないかな。

 行き当たりばったりな感じで生きているけど、高座とか、笑点とか本番になったら一生懸命に勝負する。卓球はそういう集中力にもいいんじゃないかな。張り切りすぎずにこれからもラケットを握っていきますよ。それが僕らしいでしょ。

 ◇三遊亭 小遊三(さんゆうてい・こゆうざ)本名天野幸夫(あまの・ゆきお)。1947年(昭22)3月2日生まれ、山梨県大月市出身の74歳。明大卒。68年4月に三代目三遊亭遊三に入門、前座名は遊吉。73年9月に小遊三で二ツ目。83年3月に真打ちに昇進。現在、落語芸術協会参事。1964年と今回の東京五輪の聖火ランナーを務めた。

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