殿堂入りの谷繁元信氏 27年間“生涯一捕手”猛特訓を耐えた体に「感謝」

[ 2024年1月19日 05:30 ]

スピーチする谷繁元信氏
Photo By 代表撮影

 野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りを発表。競技者表彰のプレーヤー部門で大洋・横浜(現DeNA)、中日での27年間の現役生活でプロ野球史上最多の3021試合出場を果たした元中日監督の谷繁元信氏(53)、広島とドジャース、ヤンキースで日米通算203勝の黒田博樹氏(48)が選ばれた。エキスパート部門は2年ぶりに選出なし。また、特別表彰では元セ・リーグ審判員の故谷村友一氏が選ばれた。

 晴れやかな笑顔だった。27年間、捕手一筋の野球人生。谷繁氏は「正直なところ“まさか自分が”と。名誉なこと。大変光栄に思います」と驚きとともに殿堂入りを喜んだ。

 江の川(現石見智翠館)1年秋に投手から転向し、本格的な捕手人生がスタート。88年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団した。最初は「捕手はつまらない。何で自分だけ怒られるのか…」と思い続けたが、キャリアを重ねるごとに「試合をつくってコントロールできる」と面白さに目覚めた。

 長い野球人生は常に苦闘と隣り合わせだった。「負けるのがとにかく嫌い。全てにおいて勝ちたいと思っていた」。原点は横浜の若手時代。大魔神・佐々木主浩の落差の大きいフォークを捕れず、9回を前に交代させられる屈辱を味わった。体中にあざをつくりながら猛特訓を重ね、正捕手に成長。1メートル76と大柄ではなかったが、肘や腰を痛めれば逆に他の部分を鍛えてカバーし「耐え抜いたこの体に感謝したいですね」と感慨深げに言った。

 歴代最多の通算3021試合出場も「世界の野球選手にとっては大した数字じゃない」。ピート・ローズの3562試合など、大リーグには自身を上回る選手が8人いる。メジャー移籍を目指したことがあるだけに、ここでも「負けたくない」の思いがにじんだ。一方でギネス世界記録に認定されている捕手での2963試合出場、27年連続本塁打は「誇れる記録だと思う」と頬を緩めた。

 98年に横浜で38年ぶりの日本一。FA移籍した中日でもリーグ優勝に4度輝き、07年日本シリーズでは「あの試合は大きな思い出」と山井大介―岩瀬仁紀の「完全リレー」もリードした。生涯一捕手。何万球と受け続けた左手は、今も右手より一回り大きい。「僕の自慢はこれくらい」。そんな谷繁氏が新たな、大きな勲章を手にした。 (鈴木 勝巳)

 ○…谷繁氏はプロ野球歴代最多の通算3021試合に出場。15年7月28日の阪神戦で3018試合目とし、野村克也の3017試合を上回る単独トップに立った。通算出場試合数5位以内の選手の殿堂入りは、96年の衣笠祥雄(当時4位)以来28年ぶり。上位5人全員が殿堂入りしたのは、今回が初めてのケース。

 ◇谷繁 元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日生まれ、広島県出身の53歳。島根・江の川(現石見智翠館)から88年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年に正捕手として球団38年ぶりの日本一に貢献。01年オフに中日にFA移籍し、13年には捕手として史上3人目の通算2000安打を達成。14年から兼任監督を務め、15年に現役引退。16年は専任監督。通算成績は3021試合で打率.240、2108安打、229本塁打、1040打点。右投げ右打ち。

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