担当記者が語る「男・黒田」 謙虚でありながら誇り高く…「ミスター完投」の男気と覚悟

[ 2024年1月19日 05:30 ]

15年6月30日、広島・黒田は8回まで巨人打線を3安打に抑えながら、完封目前の9回に逆転サヨナラ負け
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 【江尾記者が語る「男・黒田」】

 情景が今も浮かぶ。

 9年前の15年6月30日、東京ドームでの巨人戦。黒田は8回まで散発3安打の快投を演じながら、完封勝利を目前にした1―0の9回に痛恨の逆転サヨナラ負けを喫した。自分への腹立たしさか、試合後は黙して語らず。普段の取材はすこぶる丁寧。応じなかったのはこの1回だけだ。

 広島復帰1年目。試合後、9回の続投は投手コーチと黒田が話し合った上での判断と説明された。後日、裏の話を人づてに聞いた。1―0の9回に投げる投手は、もの凄いプレッシャーがかかる。だったら僕が――。本人がそう志願した…と。

 復帰前の7年間は、分業制が徹底されたメジャーの舞台で投げていた。9回完投は、完封勝利で飾った13年8月14日のオリオールズ戦以来遠ざかる。ましてや当時で既に40歳。続投志願するには覚悟が要る。それでもマウンドへ向かい、118球を投じて敗れた。責任を感じていた。

 リーグ3連覇(16~18年)で3度胴上げ投手となった中崎は、1カ月前の5月に抑えを始めたばかり。メジャーの破格オファーを蹴って男気復帰と騒がれていた折、黒田の後を投げる投手には普段の1―0よりも倍する重圧がかかる。それらもろもろを考えた末の続投志願だったはずだ。

 大瀬良は振り返る。「9回は黒田が行くと言っている…と連絡が来て、ブルペンは“マジか、スゲーな”となった」。当時の役割は中継ぎ。「僕自身、震えるものがあった。先発に戻れたら、こういう投手になりたいと思った」。中崎も「任せてもらえるよう、レベルアップしないと…と強く思った。その姿を見てブルペン全体がまとまり、成長していけたと思う」と語る。

 中継ぎ陣の負担を考え、先発投手は可能な限り長いイニングを…が信念。自ら信じる野球観に忠実で、結果が暗転しても言い訳しない。そうした姿に若手が感化され、3連覇につながったのは周知の通りだ。実績があっても「勘違いしてはいけない」と自戒し、球団アドバイザーを務める今も現役選手への配慮を怠らない。謙虚でありながら誇り高く。人間性がキラリと光る。

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