「男気」日米203勝の黒田博樹氏が殿堂入り「大変名誉な選出」

[ 2024年1月19日 05:30 ]

スピーチする黒田博樹氏
Photo By 代表撮影

 野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りを発表。競技者表彰のプレーヤー部門で広島とドジャース、ヤンキースで日米通算203勝を挙げた黒田博樹氏(48=広島球団アドバイザー)が、有効投票数354票の75%以上の条件を満たす281票(79・4%)を集め、候補者資格取得3年目での殿堂入りを果たした。男気あふれる投球でファンに愛された黒田氏は「カープに入団していなければ、きょうのような日を迎えることはなかった」などと喜びを語った。

 候補者資格取得3年目での殿堂入り。黒田氏は壇上で「自分が選ばれていいのかなというのが一番の感想」と率直な思いを明かし、「大変名誉な選出をしていただいた。すべての方々にお礼を申し上げたい」と晴れやかな表情で感謝した。

 2リーグ制以降、大卒では村山実(阪神)に次いで2人目の200勝投手となる日米通算203勝。通算投球回数3340回2/3は野茂英雄を上回り、日米両球界でプレーした投手でトップを誇る。負けたくない――。挫折に始まり、大団円で終えた野球人生は人一倍の向上心が支えた。

 96年ドラフト2位で広島入団。97年4月25日、初陣の巨人戦で9回1失点完投勝利を挙げた。だが、喜びは一瞬。「この投球が自信にならず、オレは何してんねん…と」。これでは通用しない。そう感じ取る自分と、しっかり向き合うことが大事…と常に言う。プロとしての原点だった。

 01年に低迷から飛躍への「大きな転機」が訪れる。この日、ゲストスピーチに立った山本浩二氏が2度目の監督就任。「エースとして最後まで投げ抜く精神を叩き込まれた」。シュートを武器に力でねじ伏せる投球。ミスター完投と呼ばれ、両翼91・4メートルの狭い旧広島市民球場を本拠地にしながら、冠に輝いた06年の防御率1・85は驚異的だ。

 08年にドジャースへFA移籍。通算355勝のマダックスらから打者の手元で鋭く動くツーシームを学び、一線級としての地歩を固めた。最初の3年契約が終わったド軍時代の10年オフから14年のヤンキースまでは単年契約。球団側が複数年を望んでも、自分を追い込んで勝負した。誠実な人柄に両軍は信頼を寄せ、今も幹部やスカウトの相談に乗るなど親交は深い。

 15年に21億円もの巨額オファーを蹴って男気復帰。現役最終年の16年にはリーグ制覇に貢献し、現役時代の新井監督とともに3連覇の礎を築いた。「これが最後の1球になってもいい」との覚悟で投げ抜いた20年間。権利を得ながら救援陣が追いつかれ、消滅した勝ち星は40を数える。

 「カープに入団していなければ、きょうのような日を迎えることはなかった。改めて良かったと感じる」。現在は球団アドバイザーを務めており「できる範囲で力になり、若い選手の手助けができれば」とほほえんだ。 (江尾 卓也)

 ◇黒田 博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身の48歳。上宮―専大を経て、96年ドラフト2位(逆指名)で広島入り。05年に最多勝、06年に最優秀防御率に輝き、07年オフにドジャースにFA移籍。12年にヤンキースに移籍し、15年に広島に8年ぶりに復帰。16年7月23日の阪神戦で日米通算200勝を達成した。同年限りで現役引退。日米通算成績は533試合で203勝184敗1セーブ、防御率3.51。右投げ右打ち。

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