担当記者が見た木村文紀という男 読んで字のごとく「血のにじむ努力」の結晶 現役引退表明

[ 2023年9月18日 12:29 ]

引退会見後に球団職員から贈られた花束を手に笑顔を見せる木村(撮影・高橋 茂夫)
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 日本ハムの木村文紀外野手(35)が17日、北広島市内のエスコンフィールド北海道で会見を行い、今季限りで現役引退することを表明した。日本ハム担当の清藤駿太記者が、木村への思いをつづった。

 今季、野手最年長のベテラン木村。練習中もひときわオーラを放っており、正直なところ「話しかけづらい…」と思っていた。そんなイメージが覆ったのが今夏。2軍施設の鎌ケ谷で恐れながら取材をお願いすると、柔和な笑顔で丁寧に受け答えしてくれた。

 「話しかけづらいって、よく言われるんだよね。怒っていると思われるんだ」

 記者の友人が埼玉栄の野球部へ入学したこともあり、2学年上の木村の存在は中学時代から知っていた。高校2年時からエース。3年時には3年時は鷲宮・増渕(元日本ハム)とともに注目を集めた。06年高校生ドラフト1巡目で投手として西武入団。150キロ超の本格派右腕として期待されたが、決して順風満帆ではなかった。

 10年には右肘を疲労骨折。翌年は車を運転中に追突されて腰を痛めた。「ぎっくり腰が多くて、1番の持ち味である球速が出なくなってね。ちょっと厳しいかなと思っていた」。シーズン終盤に1軍選手登録を抹消され、諦めかけていたところ、球団から野手転向を打診された。「その時は“考えさせて下さい”なんて、生意気なこと言っていたけどすぐに返事したよね」と、笑顔で振り返る。

 高校通算33本塁打の長打力と、持ち前の俊足を期待されての外野手転向。しかし、本人は「自分の中で1、2年で結果を出さないとすぐに首を切られると覚悟していた」。転向初日から毎日、ティーやマシン打撃で1日3000スイングを敢行。練習後は自家用車のハンドルを握られないほど両手の皮はボロボロになり、ゴム手袋を着用してお風呂に入るなど、とにかく誰よりもバットを振った。

 「今、思い出してもあの頃はキツかったな。打撃フォームうんぬんではなく、とにかく自分の思うように振った。でも、あれがあったから17年間もプロ生活を続けられたし、投手を続けていたらとっくに引退していた」

 言葉通り「血のにじむ努力」の成果もあり、翌13年のイースタン・リーグでは、新人だった日本ハム・大谷から2本の場外弾を記録。14年には自身初の左翼で開幕スタメンをつかみ、19年は自己最多の130試合に出場するなど西武のリーグ連覇に大きく貢献した。21年途中にトレードで日本ハムへ移籍。若手の台頭もあって出場機会には恵まれなかったが、木村はこう断言する。

 「恵まれた野球人生だった。投手と野手。普通の人が経験できないことができた。この経験は自分の中で宝物だし、自慢できるかな」。そう語った表情は、優しく、晴れ渡っていた。(日本ハム担当・清藤 駿太)

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