福嶋一雄氏が死去…甲子園の土を初めて持ち帰った球児 小倉エース47年から夏連覇

[ 2020年8月28日 05:30 ]

03年1月に野球殿堂入りし、レリーフのレプリカを贈られる福嶋一雄氏(左)
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 福岡・小倉中(現小倉高)のエースとして夏の甲子園大会2連覇を果たした福嶋一雄(ふくしま・かずお)氏が27日、十二指腸がんのため北九州市内の病院で亡くなった。89歳だった。葬儀は家族葬の予定で日時は未定。

 福嶋氏は戦後の甲子園大会に計7度出場した。47年夏の甲子園で九州勢初の優勝を果たし、48年夏は39年海草中(現向陽高)・嶋清一以来、史上2人目の全5試合完封で連覇を達成した。

 3連覇を目指した49年夏の準々決勝で倉敷工に敗れて、甲子園を去る時に「これで最後か」とバックネット前の土をひと握りつかんだ。帰郷後に大会関係者から「君のポケットに入ったその土には全てが詰まっている」という手紙をもらい、甲子園の土を初めて持ち帰った球児として知られる。2013年に野球殿堂入りを果たした際には「無意識の行動だった」と当時のことを振り返っている。

 早大では東京六大学リーグで通算13勝を挙げ、4度のリーグ優勝を経験した。社会人野球の八幡製鉄でも活躍し、1954年の都市対抗ではチームを17年ぶりとなる優勝に導いた。58年の現役引退後は日本野球連盟理事などを歴任。新人選手研修会で自身の経験を伝えるなど、社会人野球の発展に尽力した。

 ◆福嶋 一雄(ふくしま・かずお)1931年(昭6)1月6日生まれ、福岡県出身。旧制小倉中で47年春のセンバツで準優勝し、同年夏に全国制覇。48年夏に連覇を果たし、全5試合45イニング無失点の甲子園記録を打ち立てた。早大ではリーグ優勝4回。八幡製鉄でも54年に都市対抗を制した。2013年野球殿堂入り。

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