【内田雅也の追球】甲子園の葉桜に見る「希望」

[ 2020年4月19日 08:00 ]

ずいぶん花が散った甲子園球場前の桜(18日午前10時55分撮影)
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 久しぶりに甲子園球場まで歩いた。記録をつけているわけではないが、歩数計アプリを見れば今月6日以来だとわかる。

 あの時、満開だった桜が多く散っていた。夜来の雨と、春疾風というべき突風でずいぶんと散っていた。七分葉桜と呼ぶべき状態だった。

 『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)という歌野晶午の小説がある。帰宅後、書棚の奥から引っ張り出した。「このミス」1位という書店のポップで買ったたのが2004年。もう16年もたつのか。日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞など、2004年のミステリー関係の賞を総なめにした。

 ストーリーにちりばめられたトリックに、見事にだまされたのを覚えている。推理かつ恋愛小説なのだが、謎解きや恋の行方はともかく、ところどころで人生訓のように、希望を与えてくれるセリフがあり、感じ入る。

 主人公の「何でもやってやろう屋」の成瀬将虎(まさとら)――まるでタイガースのような名前だ――通称「トラ」が言う。「自分は敵わないと思ったら、その時点でもう負けだ。自分の可能性を信じる人間だけが、その可能性を現実化できる資格を持つ」どこまでもポジティブな思考はすがすがしいほどだ。

 将虎は彼女に「最近、桜の木を見たことあるか?」と尋ねる。「いいえ」「そうなんだよな、花が散った桜は世間からお払い箱なんだよ」。季節は夏で、桜の花は散っている。

 「だがそのあとも桜は生きている。今も濃い緑の葉を茂らせている。そして、そしてあともう少しすると紅葉だ」桜も赤、黄に紅葉することは意外と知られていない。

 人生の花盛りも、つまりは自分次第ということだろうか。
 花は散ろうとも葉の緑は美しく、実もつける。葉桜や桜の実で『合本 俳句歳時記』(角川文芸出版)を繰れば、与謝蕪村の句に出会う。

 葉ざくらや南良(なら)に二日の泊り客
 来てみれば夕の桜実となりぬ

 花のない桜に思いを深めている。

 野球がないまま、花は散っていったが、桜は葉を出し始めている。いずれ、実をつけることだろう。木の葉は赤く色づくことだろう。桜の木に希望をみた気がする。

 球場外周を歩いた。立ち入り禁止、シャッターが閉まっていた新室内練習場から打球音が聞こえてきた。=敬称略=(編集委員)

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2020年4月19日のニュース