海の向こうに描いた夢――和歌山中アメリカ旅行余話

[ 2018年2月28日 09:00 ]

五色のテープに送られ、船上から帽子を振る和歌山中渡米団=小川拡氏提供=
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 【内田雅也の広角追球】和歌山県の中部、美浜町三尾地区は通称アメリカ村と呼ばれる。明治時代、アメリカ(実際にはカナダ)に多くの移民を送り出したことから、その名がついた。

 江戸時代、漁業の村だったが、背後に山が迫り耕作する土地も少ない。生活に困窮していた。

 1888(明治21)年、工野儀兵衛(くの・ぎへえ)ら若者がカナダに渡り、バンクーバー郊外の漁村で「サケが湧くように見える」という川を見つけ、しかもほとんどサケ漁は行われていない現状を伝えた。以後、集団的な移民が始まる。工野は後に「カナダ移民の父」と呼ばれた。

 「その気持ち、分かる気がします」と話したのは藪恵壹だった。実在した日系人の野球チームを題材に移民たちの苦闘を描いた映画『バンクーバーの朝日』(2014年)も観ていた。

 藪の故郷は和歌山県境に近い三重県御浜町。アメリカ村と町の読みが同じように、地形も似ていた。美浜町には煙樹ケ浜(えんじゅがはま)、御浜町には七里御浜の海岸線が広がっていた。

 幼いころからランニングなど自主トレの場所でもあった砂浜で、藪は母親に話したそうだ。プロのスカウトから少し注目されるようになった和歌山・新宮高時代の話で、母親から聞いた。

 「お母さん、今の僕はこの砂浜のなかの一粒でしかない。いつか、輝く石となる。それまで待っていてほしい」

 藪は照れるが「少年時代から、いつも目の前に広がっていた大きな海の向こうには、何か夢が広がっている気がしていた」と話す。阪神から大リーグ入りし、アスレチックス、ジャイアンツで活躍した。「アメリカ村の人たちも海の向こうに夢を描いたのでしょう」

 同じ夢を少年時代、吉井理人も抱いたそうだ。吉井は和歌山県吉備町(現有田川町)出身。同じく大リーガーとなり、メッツ、ロッキーズなどで投げた。

 ニューヨーク支局にいた2001年、グランドセントラル駅近くの日本料理店「丼屋」で昼食に居合わせたことがあった。エクスポズにいた吉井が遠征で来ていた。

 「山が多く、田畑を耕す平地の少ない和歌山の人たちは海を見て暮らしてきたんでしょう。太平洋を眺めながら“よし、海を越えて行くか”という思いになる。僕もそのなかの一人かもしれませんね」

 藪は三重県出身だが、江戸時代は紀州藩の地域で、高校は和歌山だ。大リーガーとなる土壌は紀州で育まれていた。

 ――と、そんな話を先日、披露した。1893(明治26)年創業の老舗、和歌山市の毎日新聞販売店、宮井新聞舗が毎年開いている「宮井スポニチ会」での講演だった。

 スポニチ本紙紙面で毎週水曜日付で連載中(五輪期間中は休載)の選抜高校野球90回を記念した特集『センバツ群像 今ありて』。1927(昭和2)年、第4回大会で和歌山中(和中=現桐蔭高)が優勝の特典で贈られた北米旅行を取り上げた=2月7日付終面=。母校の大先輩たちの偉業である。ある種使命感もあった。その取材を通じて感じた話である。

 明治初期「カミソリ大臣」と呼ばれ、外交手腕を発揮した陸奥宗光、数カ国語を話した博物学者の南方熊楠など、紀州人は海外に飛び出していった。「黒潮が育んだ紀州人気質」だと、仁坂吉伸和歌山県知事と作家・津本陽氏が対談で語っている=和歌山県広報誌『和(nagomi)』=。

 和中優勝の立役者はエース・4番の小川正太郎氏(1980年、70歳で永眠)で「中学球界の麒麟児(きりんじ)」と称された左腕だった。

 小川氏は早稲田大進学後、胸部疾患で表舞台から姿を消した。毎日新聞社に進み、大学野球の評論や日本社会人野球協会(現日本野球連盟)の設立に尽力、軟式野球連盟理事、日本野球規則委員を務め、アマチュア球界の発展に貢献した。81年に野球殿堂入りを果たしている。

 長男の拡(ひろし)さん(76)は「父から教わりました」と語呂合わせでの英語の曜日の覚え方をそらんじた。「月はまん丸マンデー、火に水をかけてチューズデー、水田に苗をウエンズデー……」。

 「幼いころ、父は国内、海外を飛び回っていました」と話す。「朝、目が覚めると枕元にお菓子が置いてあったり、珍しかった海外のお土産や写真に目を輝かせたものです」。

 あの北米旅行で、小川氏も海外への思いが強まったのかもしれない。海の向こうに夢を描いた紀州人の気質があったのだろう。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 宮井新聞舗の専務は和歌山・桐蔭高の同級生。しかも3年間とも同じクラスだった。明るく、世話好きで、人気があった。高校3年秋の遠足で訪れたのはアメリカ村にほど近い煙樹ケ浜で、バーベキューを楽しんだ写真がアルバムに残っている。和中・桐蔭野球部OB会関西支部長の肩書もある。1963年2月、和歌山市生まれ。慶大文学部卒。

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