雄平 劇的V打 制球難で投手断念、“真中打法”が礎に

[ 2015年10月3日 05:30 ]

<ヤ・神>11回2死一、三塁、サヨナラ打を放ちガッツポーズの雄平

セ・リーグ ヤクルト2-1阪神

(10月2日 神宮)
 優勝を決める打球が右翼線に抜けた瞬間、ヤクルト・雄平は頭が真っ白になった。「走っている時に、ようやく“優勝なんだ”と気付きました」。野手転向6年目。右翼席のファンに向けて全員で万歳三唱した後にわき起こった「雄平」コール。生涯忘れられない光景となった。

 東北高(宮城)時代は最速151キロを誇り、02年ドラフト1巡目で入団。1年目は5勝と順調に滑り出したが、2年目以降は伸び悩んだ。制球難は深刻で、06年には1イニング3暴投を記録したこともあった。次第に心が萎縮して腕も振れなくなる。球速は140キロに届かなくなった。首脳陣から投球練習はおろか、キャッチボールも禁止された。「練習するほど下手になった。もうクビも覚悟しました」と振り返る。

 09年オフに野手転向。当初は凄く落ち込んだというが、奈王子(なおこ)夫人から「チャンスを与えてもらって幸せじゃない」と背中を押された。当初はど真ん中のボールにも空振りする日が続いたが、1日800スイングをノルマに振り込んだ。自宅でティー打撃する際には夫人がスポンジボールを投げてくれた。転向1年目の2軍打撃コーチが真中監督。1メートル70、85キロの指揮官と1メートル74、83キロと自らの体形が似ていたことから、重心を沈み込ませて打つ「真中打法」が礎となった。

 今季は開幕4番を任されながら苦しんだ。先発落ちも経験し、一本足打法など打撃フォームも試行錯誤を続けた。それでも最後に「迷惑を掛けてばっかりで、このまま終わりたくないという気持ちがあった」と歓喜のサヨナラ打につなげた。

 東北高3年時に入学してきたダルビッシュ(レンジャーズ)の教育係を務めた雄平。「あいつが日本に帰ってきたら、いつか対戦してみたい」。まだ31歳。野手としてこれからが成熟期だ。(東山 貴実)

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